大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第四編 飛花落葉(逸話)

振つた仇討

岩下翁、島德藏氏及故人等の關係者一行が、箕面電鐵線路敷設の豫定地を視察に行つた時のこと、豫(かね)てから故人の蛇嫌ひを知つてゐた島氏が、窃にステツキの先に手頃の朽繩(くちなわ)をかけて不意に故人の鼻先に突き出し、故人を少からず、吃驚(びっくり)させたことがある。その後幾日かを經て、故人が市中に俥を走らしてゐた折、前を二人曳の俥が走つて行く。それは定紋に見覺えのある島氏の俥である。故人は自分の俥夫治平君に低い聲で前の俥を追ひ拔けと命じた。治平君は心得たとばかり勢込んで見事前車を拔いて死にもの狂ひに疾走した。無論故人は知らぬふりを裝つてゐる。島氏は『味をやつたな』と自分の俥夫をして追ひすがらせたが、治平君は音に聞えた大阪隨一の韋駄天であつたので、その距離は次第に遠ざかるばかり、その競爭は徹底的に故人の勝に歸した。歸宅後故人は『お蔭で蛇の仇を討つた』と肩をゆすぶつた。

(むしろ)五千枚の御賽錢

故人は大軌創立當初よりの生駒經營論者であつた。同地今日の殷賑(いんしん)は故人の發意に負ふところが尠くない。同線開通後の或る日曜の早朝であつたが、故人は状况視察を兼ねて生駒聖天に參詣したことがある。生憎その日は降雨後であつたので、まだ固つてゐない新設の參詣道は泥濘(ぬかるみ)膝を沒すといふ有樣、參詣者の困難はいふまでもなく、その惡い印象は生駒の宣傳上策の得たものでないことに氣付くと同時に、自己平常の主張が踏みにじられたやうな感じもしたのであらう。故人は愴惶(そうこう)として大林組本店に電話し、莚五千枚と人夫若干とを急送せしめ、莚をば路上に敷き詰めて須臾(しゅゆ)の間に參詣人の困苦を除いた。そして故人は『今日は良いお賽錢を上げた』といかにも喜悅滿面の體であつた。

氣轉のピストル

現今では次第にさうした者は少くなつたが、昔時は各工事現場を荒して廻る常職の無心者が多かつた。或る時故人が現場巡視の際、偶某現場で、無心者は三名、盛んに啖呵を切つて現場員を脅喝してゐる最中に出會つたことがある。故人は『やつてゐるな』と微笑しつゝ、今や啖呵酣(たけなわ)な事務室内に徐(おもむろ)に這入つて行つた。現場員は無論直立不動の姿勢で慇懃(いんぎん)に故人を迎へた。三名の無心者は何處の偉い人かと多少氣勢を殺がれたかたち、そこを故人は爛々たる眼光で彼等を睨み廻したので、彼等は表面傲然たる態度で強て空威張りはしてゐるものゝ心中多少の恐怖心を萠したことはその顏色で直ちに讀める。智者は不萠を見るで、この機微を直感した故人は、突如現場員に『お前等に預けてあるピストルはどうした』と叫んだ。氣轉の利いた現場員が『此處にあります』と聲に應じてテーブルの抽斗(ひきだし)を開けた。すると三名の者は周章(あわ)てふためき這々の體(ほうほうのてい)で逃げ去つてしまつた。故人の言つた預けてあるビストルとは咄嗟の頓智(とんち)で、素より預けてなどは置かなかつたのである。

時ならぬ正月

元氣な義雄氏を中心に、學生四、五名の一群が新橋驛に列車の到着を待つてゐる。着車と同時に降りたる故人の姿を見るなり、その一群は驅け寄つて奪ひ合うやうに故人の鞄を提げてブラツトを出る。義雄氏はさることながら他の學生等も嬉々として故人を迎ふる樣は眞の父のやうである。その學生等は皆故人に養はれてゐる給費生で、東京支店に義雄氏と起臥を共にしてゐる連中である。故人の上京毎に彼等は御馳走にありつく。お小使まで頂戴する。故人の上京は彼等にとつては時ならぬお正月なのだ。加藤登氏(現橫濱支店長)も當時その中の一人であつたが、平常の食事なども義雄氏と甲乙なからしめた平民的な故人の思ひ遣りに今以て敬服感謝してゐる。

僞せ盜人

土用の日盛り、蟬時雨に包まれた夙川邸内の中垣の陰に、赤や、靑や、紫の女の晴衣がづらりと竿に掛けられてある。それは女中連の土用干で、命にも替へ難い一帳羅である。時しも故人は歸宅の際フトこれに眼が止り、もし盜まれでもしたなら一大事と邊りを見ると人の氣もない。そこで故人の胸中には例の茶目氣がむらむらと起つた。その際、折こそよけれ使から戻つた下男の又さんが門を這入つて來たので、故人は又さんに旨を含めてめぼしい衣裳の數枚を竿よりはづし、それを抱いて倉庫の陰に隱れさせた。故人は平氣を裝つて、その歸りを迎へた二、三の女中に『今誰か洗濯屋でも來なかつたか。何、來ない。それはおかしい俺が門を這入る時大きな風呂敷包を抱いた男が出て行つたが』と不審さうに言ひ放つた。これを聞いて女中等は顚倒(てんとう)せんばかりに吃驚し、我れ先と悉(ことごと)く干場に走り出た。そして女中等の聲は益甲高に聞えて來る。私の襦袢がない、私は羽織が無い、などと泣かんばかりの騷ぎである。故人は浴衣に着更へてその愁嘆場(しゅうたんば)におり立ち『お三時とはいへ一人の見張りもつけないで、茶咄し(ちゃばなし)に耽つてゐるからかういふ事になるのだ。氣をつけないといけない』と徐に諭し、『よし俺がその盜人を捕へてやらう』と邊りを見廻しながら倉庫の陰の方へ進んで行つた。すると『盜人つかまへた』といふ故人の大聲が洩れて來たので、女中等は思はず叫んで後と退りした。故人は衣裳を抱いて頰冠りした一人の男の襟髮を摑んで引きたてゝ來る。近づいて怖わ怖わにその男を熟視すると、何ぞ圖らん下男の又さんであつた。女中等は笑ひ崩れんばかりに胸撫で下し、嬉しいやら、可笑しいやらの二重奏で、中には涙一ぱい溜めてゐた者もあつた。

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