大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第二編 本記

四 大林組の誕生 二十九歳

旗揚と宣言

阿部製紙工場の大建築を獲得した故人は、この機を逸せずに明治二十五年一月二十五日、靱南通岡崎橋の畔に大林組としての旗揚げをした。

雲を起すか雨を呼ぶか、抱負の大は天下を呑むの概があつた。眞に業界の麒麟兒といふべく、施主に對しては「施工入念」、「責任遂行」、「誠實黽勉(びんべん)」、「期限確守」、「安價提供」を標榜したのは勿論、同業者間に對しては堂々として「談合」、「談合取(團子取)」、「繩張」等の惡弊打破を呼びかけたのである。當年纔(わず)かに二十九歳の靑年、意氣軒昂、古武士が馬上ゆたかに名乘りを揚げたやうな武者ぶり、幸多かれと祈るものは獨り故人の母や妻ばかりではない。勃興大阪としての需要上、燎原の火の如く到る處に勢援と同情が湧いて來て、天はこの偉丈夫を見捨てはしなかつたのである。

兎に角明治二十五年は故人にとつては一新紀元をなす多幸の年であつて、庭前の梅花まだ綻びない一月、阿部製紙によつて好運の花が開け、更に去歳伉儷(こうれい)として迎へたミキ子夫人がその年七月玉のやうな長女ふさ子孃を生んだのである。

華封三祝の榮

華客が生れ、大林組が生れ、長女が生れ、一時に寄せ來る三つの慶び、華封三祝の序曲を奏でるやう。大林組はこの發祥の日を尊い紀元として永久に祝はざるを得ない。

附記……上述の如く明治二十五年一月二十五日に大林組としての本據(ほんきょ)が出來上つたのであるが、大林組と稱するに至つたのは明治三十七年以後で、それまでは店名を單に大林芳五郞と稱してゐた。

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