大林芳五郎傳

1940年に刊行された「大林芳五郎傳」を電子化して収録しています。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第四編 飛花落葉(逸話)

禪味

故人は過失のあつたK社員に對して憤然大喝し、『君のやうな周章者は今日限り免職だ。直ぐ歸りなさい』と申渡し、謝罪も聞かばこそ、慌しく社を出て行つた。K社員は平常から一徹な故人の性格を熟知してゐるので、取り付く島もなく、他同僚の同情に送られて涙ながらに歸宅した。K社員は數人の子を抱へた貧しい家庭、その夜は身の行末を案じて妻と共に語り明かした。翌朝故人は何時になく早く出社して驚く社内を見廻しながら、『K社員は居らんでないか』といふわけ、『昨日免職になりましたので參らんのでせう』と同僚の一人が答へた。故人は『免職も糞もあるものか。今日のやうに見積の忙しい日に遲刻するやうでは又免職だと言つてやれ』とのことである。この言葉は頗(すこぶ)る滑稽で辻褄が全然合つてゐない。しかし噛みしめて見ると禪的無限の味がある。同僚は直ちに小使をK社員宅に走らして出社を促した。涙に明して面窶(おもやつ)れのK社員は元氣頓(とみ)に回復して勇躍出社した。故人はK社員の挨拶に對し『今日のやうな忙しい日に何をしてゐるんだ。グズグズしてゐると又免職だよ』と一言。故人は常に各社員の家庭を熟知してゐる。貧しいK社員に免職を申渡したものゝ、故人もその夜氣懸りであつたらしい。だから何時になく早く出社して禪問答でK社員を呼び出したものである。そこに盡きせぬ神韻渺茫(しんいんびょうぼう)ともいふ故人の人間味が漂つてゐる。そして大林組の傳統として、不正に對しては一歩も假借しないが、過失に對しては比較的寬容の風のあるのはこんな處から胚胎したのであるまいか。

手紙より口上

故人は手紙を書くことは殆どないといつてよいほどであつた。だがその書は性格そのまゝの筆致剛健のもので、故人の側近者中でも直筆の手紙を持つてゐるのは恐らく白杉嘉明三氏か池田源十郞氏位のものであらう。大抵の場合は直談で濟ますか、さもなければ相當の人を代理として懇談せしめた。その方が充分念も屆き、間違ひもないといふ細心の注意から出發してゐた。

一樣の交際

雨の日の鬱陶しさに故人は獨り杯を擧げてゐる。偶猩々(しょうじょう)で有名な肴屋魚嘉の聲を聞き、用事にことよせて座に招き、先づ一杯と杯を勸め『君、俺の前だからといつて畏まる必要はないよ、胡座(あぐら)をかきなさい』と次から次と顎の解けるやうな面白い咄しの續出。そこに又島龜(呉服屋)の番頭などが來合せ、本調子の酒宴が展開されて興は益乘つて來る。故人に接するそれ等の人々は上も下もない故人のもてなしに一日を棒にふることが時折あつた。しかしさうした場合には魚嘉の鮮魚は全部買上げといふ恩典に浴するので、酒の味も特別美味かつたらしい。

さげてるぞ、さげてるぞ

故人は『俺は女々しい風が大嫌ひだ』といつて、長女房子さんの少女時代は男髷に結はして男裝さへさせてゐた。そしてその凛々しい姿を眺めながら『可い、可い、よく似合ふ。女の兒(こ)も小さい時は男裝が可いなア』と一人悅に入つてゐた。その房子さんが長じて初孫の一郞さんを生んだ時、『坊ちやんですよ』との産婆の聲を聞いた故人はいきなり起つて、『さげてるぞ、さげてるぞ』と連呼しながら臺所に飛び込み、それ盥(たらい)だ、それお湯だと自ら湯運びまでするといふ喜び方。男性的な人だけあつて男の子が好きでたまらなかつたらしい。

馬ケツと表玄關

夙川邸の町内に桝谷忠四郞氏とて代々の素封家があつて、氏子總代とか、衛生委員とかよく町内のことに盡力されてゐた。その桝谷氏のお話だが、『故人が夙川に初めて居を設けられた時、世に謂ふわたましの引越し蕎麥は、向ふ三軒兩隣程度に配るのが普通の例なのに、同町内の裏店住ひに至るまで百五十軒ばかりの全部に、大馬ケツ一個づゝを配られたので、町内擧(こぞ)つて何と豪勢な偉いお人が來てくれたものだと言つて喜んだものであつた。その後町内の祭典費とか、小學校の建築費とか、又は消防費とか、町内一般の寄附を仰ぐときは先づ第一番に故人に賴むのを常とした。さうしたとき、故人はその都度世間の振り合等を詳しく訊ねられた後氣持よく快諾されて、しかもその額は何時も町内での筆頭であつた。故に町内では故人を主家に對するやうな態度で敬つたもので、自然町内のことは細大漏らさずに報告もし、又指圖をも仰いだものであつた。その折々町内の役員が故人を訪問したときは、心から故人を尊敬してゐる關係から必ず内玄關より剌を通ずるのを常としたが、如何に辭退しても表玄關からでないと絶對に通されなかつた。そして必ず本座敷に通されて心苦しいほど慇懃(いんぎん)鄭重に待遇され、しかもお會ひする度毎に、御町内の爲毎度御足勞を煩はして恐縮する、との挨拶が述べられ、種々の相談事でも、萬事宜しくお計ひが願ひたいといつて、指圖がましいことはたゞの一回もなかつた。まして尊大振るのでなく、態(わざ)とらしくもなく、何時も朗かに打解けてお話をされるので、何處まで襟度の大きい人か底が知れなかつた』と言つてゐられる。

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