禪味
故人は過失のあつたK社員に對して憤然大喝し、『君のやうな周章者は今日限り免職だ。直ぐ歸りなさい』と申渡し、謝罪も聞かばこそ、慌しく社を出て行つた。K社員は平常から一徹な故人の性格を熟知してゐるので、取り付く島もなく、他同僚の同情に送られて涙ながらに歸宅した。K社員は數人の子を抱へた貧しい家庭、その夜は身の行末を案じて妻と共に語り明かした。翌朝故人は何時になく早く出社して驚く社内を見廻しながら、『K社員は居らんでないか』といふわけ、『昨日免職になりましたので參らんのでせう』と同僚の一人が答へた。故人は『免職も糞もあるものか。今日のやうに見積の忙しい日に遲刻するやうでは又免職だと言つてやれ』とのことである。この言葉は頗(すこぶ)る滑稽で辻褄が全然合つてゐない。しかし噛みしめて見ると禪的無限の味がある。同僚は直ちに小使をK社員宅に走らして出社を促した。涙に明して面窶(おもやつ)れのK社員は元氣頓(とみ)に回復して勇躍出社した。故人はK社員の挨拶に對し『今日のやうな忙しい日に何をしてゐるんだ。グズグズしてゐると又免職だよ』と一言。故人は常に各社員の家庭を熟知してゐる。貧しいK社員に免職を申渡したものゝ、故人もその夜氣懸りであつたらしい。だから何時になく早く出社して禪問答でK社員を呼び出したものである。そこに盡きせぬ神韻渺茫(しんいんびょうぼう)ともいふ故人の人間味が漂つてゐる。そして大林組の傳統として、不正に對しては一歩も假借しないが、過失に對しては比較的寬容の風のあるのはこんな處から胚胎したのであるまいか。