即時即決
故人の命令は綸言(りんげん)汗の如しといつた風であつた。一度び命が發せられると響の聲に應ずるやうに、一刻の猶豫さへ與へられないのが常であつた。妹婿の故大林龜松氏(後常任監査役)が東京支店に在勤の折、當時少年の義雄氏が激烈な猩紅熱(しょうこうねつ)に冒されて危險の状態にあつたので、故人より龜松氏宛に『ヨシヲキトク、イエシマツテアスカエレ』との電命があつた。普通の人なら、居宅は一時誰かに預けて一ト先づ歸つて來い、といふ程度のものだらうに、家をたゝんで翌日歸れといふのだから隨分短兵急なもので、總べてにキビキビした故人の性格が躍如としてゐる。平常から故人の性格に馴れきつてゐた龜松氏は、電命のまゝ家をたゝんで翌日歸阪したのである。故人はさも滿足氣にその行動の敏速さを賞讃したものであつた。又故人の命令そのものも間髮を容れない底のものがあり、出先だらうが、自宅だらうが、夜中だらうが、寢起きだらうがお構ひなしで『明日會社へ行つてから言ひつける』とか、或は呼び寄せた社員が自分の入浴中にでもやつて來ると、『風呂からあがるまで待たせて置け』といつた悠長さはない。疾風的に風呂の中からでも命を發したものだ。伊藤順太郞氏も曾て風呂の中から命令を受けた一人で、『君は今から直ぐに支度をして善通寺の工事場に行つて貰ひたい。お金が入るなら奧さんから貰つて行きなさい』といつた調子。もし愚圖々々してゐやうものなら、信任忽ち地を拂つて『あの男は駄目だ』となつてしまふ。かくして大林組の全機關が活氣橫溢、潑刺として運行して行つたのであつた。