一諾千金
岩下淸周翁訪問の記
編者の一人は、去る初夏の一日、岩下淸周翁を不二農園に訪れた、裾野驛で下車、人俥を傭ふて、滾々(こんこん)たる玉の流に沿ふて野道を半里ばかり行くと、俄に狹くなつた山路にさしかゝつた。農園の入口に近くなつたのである。
翁の住ひはそこから十町ばかりの山中で、小高い丘と丘との峽にあり、翁は丁度來訪の松村敏夫氏と圍碁中であつたが、『一寸待つて下さいよ、今に勝負をつけるから』と急いでけりをつけ、『風呂に入つたらどうだ。汗を一つ流して來たまへ』と打とけた調子で、自ら湯殿へ案内されたりした。 室に復ると又來客が待つてゐる。森永製菓の支配人だ。『君、森永といふのも大きくなつたよ。今聞くと千萬圓の商賣人になつた。芝の微々たるパン屋さんがそんなに大きくなつたのだ。實に愉快ではないか』森永氏も亦岩下翁の俠助によつて今日の成功をなした一人であるが、翁の蹉跌後も相變(かわ)らず訪問されて事業の報告をなし、翁の援助に對して感謝の辭を捧げて居られた。翁の扶植した苗木が、彼方此方に、慈雨の惠みに育ち行くのも少くなかつた。
『大林組も益盛大になつてよいな。僕はこゝに來てから全く社會のことから離れてゐるが、皆が來て親切にしてくれるので喜んでゐる。大林君は義の堅い男で一諾千金の概があつた。僕は決して人に恩を施したなどとは考へてゐないが、相當人の爲に盡して來たことは事實だ。この事それ自身から直接利益を得ようなどとは毛頭考へたことはないが一旦自分が信じてこれは世の爲になると思ふことには、それに金が要るといふ場合には融通もした。その人も成功し、國家の爲にもなる。その一擧兩得(いっきょりょうとく)の爲には決して躊躇しなかつた。しかし今日かういふことをいふのは一種の愚痴ぢやね』 『北銀破綻後、僕が毀譽褒貶(きよほうへん)の世評紛々たる中に「問題の人」となつた時、常に心から誠意を盡し、自己の財産を惜し氣もなく投げ出した大林君の任俠的な遣り方には全く感服した。それが、他人から強ひられたとか、是非さうしなければならないとか、周圍の事情が已むなくそれを爲さしめたといふのではなく、自發的に、岩下が氣の毒だ、救はねばならぬといふ精神が一擧手一投足の間にも見えてゐた。僕はその精神だけで滿足した。僕と大林君との交りは決して淺いものではない。しかし、それは大林君の常に土木建築業を以て國家社會に奉仕するといふ志そのものが僕を動かしたのである。それから相當年月の間、その爲人(ひととなり)に接し、彼の爲し來つた行跡を檢討して、一點輕佻浮薄なところがないので、僕は窃かにこの人こそ刎頸(ふんけい)の友たるに足ると思つた。僕の失敗は僕の不德、不明の致すところだが、これに連繫して大林君が被つた打撃も決して少くなかつた。これに對し、一言未練がましい辯解もせず、全財産を提供して、また元の一つに成つてさつぱりした、と人に語つてゐたことを聞いた時、僕はこれこそ眞の男兒だ、と思はず泣かされた。大林君と僕との事實上の關係は今くどくどと言ふまでもなく知る人は知つてゐる。たゞ思つてゐることを參考までにいふだけだ』 『もうお歸りか、夕飯を一緖にやらう。僕が自慢のトマトを一ツやつて行つてくれ』
と奧樣手料理の半洋半和の食卓に、又しばし翁と宗敎談を交換し、山で摘んで貰つた百合の一束を肩に、翁と門前に別れを告げて下山した。將に暮れなんとする富嶽は夕日をうけて輝く金扇のごと、それもやがて薄墨色となつて行つた。