大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第2章 全国規模の業者へと飛躍

明治から大正へ

日本が近代化の歩みを始めた明治時代は45年(1912)をもって終わるが、わが国の歴史上、政治、外交、経済、社会等にわたって、その意義はきわめて大きい。内的には近代資本主義体制を確立して、諸産業の勃興をもたらし、外的には列強による植民地化を防ぎながら逆に対外進出を果たした。わが国の領域が最も広くなったのは明治時代末までであって、以降は第1次世界大戦(大正3~7年)の勝利によって、旧南洋諸島の統治を国際連盟より委任されたのみである。

こうした膨張政策は現時点からすれば議論の余地はあろうが、19世紀より20世紀の初頭にかけて、列強角逐のアジアの一角にあって、その存在をかけた国策であった。

経済的にみれば、明治から大正にかけては財閥が一層確かな形で形成された時代であった。明治20年代の初めころまでに、官業の払下げや政府の保護によって、有力資本家たちは事業発展の基礎を築いた。その後、諸産業の興隆、発展につれて投資の分野を拡大し、日露戦争後から第1次世界大戦にかけて、持株会社を中核とし、コンツェルンとしての形態を整え、産業界を支配する勢力となっていった。

思想的には明治時代は多くの新思想が移入され、旧弊を破る力となったが、合言葉は文明開化であり、自由も強く求められる一方で天皇神聖視の風潮も育った。

産業の勃興は工場労働者を生むことになり、明治20年代には労働者による組合活動も起こったが、目的は相互扶助にあり社会主義とは関係がなかった。しかし政府はこの両者の結びつきを警戒し、33年には「治安警察法」を制定するなど闘争行為を極力押さえた。一方、44年「工場法」を制定、大正5年から実施し、工場労働者を保護する進歩的な施策も行った。

明治に次ぐ大正時代は、明治と昭和の間にあって、15年間とその期間は短かったが、それなりの個性をもつ時代であった。世に大正デモクラシーと称せられる世相がそれである。

日露戦争後から大正の末年に至る20年余の間に、政治、社会、文化の諸分野にわたって、民主主義的、自由主義的傾向が顕著にみられたのである。それはあたかも明治時代に全力で駆けた国家主義的傾向に、一服の機会を与えるごとき観があった。明治から大正へ、近代日本は新しい動きを始めようとしていた。

産業界の興隆と建設業

明治時代の末期は、日露戦争後の一時的好況もつかの間、明治40年(1907)には早くも戦後恐慌に見舞われ、対外的発展とは裏腹に、不況のうちに終わった。

当時、土木請負業はきわめて魅力に富む事業でもあったが、危険も多く、30年から明治末年に至るまでに土木請負業が普及した反面、厳しい淘汰も行われた。この波を乗り越えた者だけが生き残ったのである。

明治時代も末になると、鉄道工事と並んで水力発電工事が盛んとなって土木請負業に大きな比重を占めるようになった。40年に完成した東京電燈による山梨県駒橋発電所は、出力1万㎾を超えるわが国初の本格的水力発電所であり、関西では42年に着工された宇治川電気会社の志津川発電所が最初の大出力水力発電所である。

明治からもち越した産業界の不況を救ったのは第1次世界大戦による戦争景気であり、わが国はかつてない好況にわいた。

この大戦によって、わが国は輸出超過額14億円、貿易外収支超過額14億円、計28億円の受取り超過となった。このため国民購買力はにわかに上昇し、国民の生活水準は高まった。国内市場は発達し、工業製品の消費市場は拡大した。

わが国は明治以降、殖産興業策によって産業の近代化を急いだとはいえ、農業国から工業国へと脱皮したのは第1次世界大戦を契機としてであった。まだ軽工業の比重が高かったものの、重化学工業への進出も著しく、造船、製鉄、人絹、化学染料、薬品、硫安などの諸工業も盛んとなった。第1次世界大戦の主戦場はヨーロッパに限られ、連合国の一員として参戦したわが国は、いわば“漁夫の利”的に大きな経済的利益を得た。参戦国の需要で輸出が伸び、また、これら先進国の輸出力が落ちたあと、代替的にアジア市場への輸出が急伸した。さらに輸出拡大と世界的船舶不足により海運業には莫大な利益をもたらした。

建設業界をみると、このころ各地で業者団体が組織され、建設にかかわる諸問題に取り組もうとする気運が起こってきた。明治41年に大阪土木建築業組合、44年に建築業有志協会(建築業協会)が設立され、大正に入ってからは4年に鉄道請負業協会、5年に東京土木建築業組合が設立された。そしてさらに、8年には「業界の三大問題」(後述)を契機として、全国各地域の業者団体を統一した日本土木建築請負業者連合会(全国建設業協会の前身)が設立されるに至った。

工事では明治末から第1次世界大戦前にかけて、産業界の需要や官軍需に応じて前記のように水力発電、鉄道工事が盛んであった。朝鮮、台湾でも水力発電、鉄道工事が盛んとなり、多くの業者が進出していった。また個人経営から会社組織への変更、建設機械類の採用など近代化がみられるようになったが、施工の機械化は大きな発展をみることなく終わった。いまだ人手余りの時代で、人件費の方が安かったからである。

第1次世界大戦を契機に大いに盛り上がった景気も、列国産業の戦後の立直りにつれて冷え込み、やがて反動不況を迎えることになる。

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