大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

6 増大する資金需要

■―相次ぐ増資

当社は資本金62億円をもって昭和40年代を迎えたが、以後の経済成長に伴う急速な事業の拡大により、設備資金、運転資金ともに需要が増大し、次のように相次いで増資を実施した。

まず、43年(1968)8月1日現在の株主に対する割当(1対0.6)7,440万株および一般募集16万株の有償発行を9月30日払込みで行い、同時に10月1日付で資本準備金の一部3億7,200万円を資本に組み入れ、新株式744万株を8月1日現在の株主に1対0.06の割合で無償交付した。これをもって10月1円に新資本金は103億円となった。

次に、45年3月31日現在の株主に対する割当(1対0.4)8,240万株および一般募集336万株の有償発行を6月30日払込みで行い、同時に7月1日付で資本準備金の一部4億1,200万円を資本に組み入れ、新株式824万株を3月31日現在の株主に1対0.04の割合で無償交付した。これによって7月1日に新資本金は150億円になった。

続いて46年11月29日の定時株主総会において「株式による利益配当」が承認可決され、同日付をもって6億円(100株につき4株)を増資し、新資本金を156億円とした。

さらに、48年1月25日現在の株主に対する割当(1対0.4)1億2,480万株および一般募集3,072万株の有償発行を3月31日払込みで行い、同時に4月1日付で資本準備金の一部6億2,400万円を資本に組み入れ、新株式1,248万株を1月25日現在の株主に1対0.04の割合で無償交付した。その結果、新資本金は240億円となり、40年に比し4倍弱の充実となった。

なお、会社が発行する株式の総数も47年11月29日の定時株主総会において12億4,800万株に増加し、その後の増資に備えた。

発行株券の見本
発行株券の見本

■―土地取得資金需要の増大

第1次石油危機はショックと呼ばれるにふさわしい衝撃を企業経営の面にも与え、大きな後遺症も残した。土地ブームの終息による手持ち高値土地の売却難はその最大のものであり、多くの企業や個人が土地投機に走った“とがめ”に悩まされることになった。

当社の住宅事業と土地取得の問題については次節に述べるが、定款の一部を改正し、不動産事業を事業目的に加えたのは昭和44年(1969)11月で、それ以降不動産投資は活発となり、その原資が借入金であったことから借入金残高の急速な増大を招いた。

45年秋以降6次にわたる公定歩合の引下げなどの金融緩和、46年度の大量の外貨流入による過剰流動性の発生、田中内閣の列島改造政策の刺激などにより土地ブームが起こり、法人、個人を問わず、全国的な規模で土地投機が行われ、地価は著しい騰貴を続けた。当社ではこうした情勢下に、営業用不動産の取得を進める一方、不動産事業を土木、建築と並ぶ経営の一本の柱として、この分野への進出を企図した。

当社の保有した開発事業関係の販売用土地面積は47年3月~49年3月の間に著しく増加し、分譲地の販売利益も急上昇し、収益の向上に大きく寄与する一面もあったが、資金需要も大きく拡大し、金融費用負担はふくらむ一方であった。

45年3月末において長短借入金残高は637億円強であったものが、49年3月末には2,138億円強の巨額に膨張した。借入金がこの間に1,500億円増となったが、これが主として不動産(土地)投資に向けられたのである。もちろん棚卸不動産価格は、それに見合った増加であったが、その活用難は金利負担その他経費の負担増を強いるものとなった。

ともあれ、この時期、当社は資金需要の増大に対応して、増資による資本調達に加えて巨額の借入金に頼ったため、経済環境の激変に遭遇し、その負担に悩むことになったのである。

『日本列島改造論』
『日本列島改造論』
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