大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

1 技術革新と建設業の新技術

■―世界を凌駕し始める日本の新技術

戦後、昭和50年(1975)までの30年間に、わが国では2度の大きな技術進歩を遂げた時期があった。30年代の初めと40年代の前半がそれであり、30年代初めは、“もはや戦後ではない”に始まる数年間で、「技術革新」という言葉が戦後の新しい産業社会を生み出す希望の星として光り輝いていたころである。投資が投資を呼び、石油化学コンビナートの成立、高分子化学工業によるプラスチックなどの新材料の登場、そして家電製品をはじめ、革新的な技術による新製品の出現が、人々の生活形態や生活意識にまで影響を与え始めた。

30年代後半には設備投資が鈍化し、技術進歩も一段落したかにみえたが、40年代前半に再び盛上がりを示した。30年代に対してこの時期の技術革新は画期的な新材料、新技術というよりも、スケールメリットを求める大型化、大容量化の設備投資を主流とするものであり、これは中堅・中小企業にも波及し、裾野の広いものとなった。

その後、52年ごろから再び技術進歩の波が盛り上がってきた。石油危機以降、エネルギー価格は上昇し経済成長率は鈍化したが、このことは省エネルギー、省石油型の技術革新を進行させる強い契機となった。これは40年代の「大量生産型革新」から「効率型革新」への変化といえるものであった。

50年代に入ってからの技術革新の最大の特徴は、既存の技術や製品の複合化、システム化であり、その中心はメカトロニクスである。メカニズムにエレクトロニクスが結合された結果、従来の機械にマイクロコンピュータやセンサーが組み込まれ、機械の機能の制御がきわめて簡単に、かつ精密に行いうるようになった。とりわけ、自動車、家電などの技術・労働集約型の加工組立型産業においては、「高度なメカトロニクス型革新」が進んだ。

ICの生産が50年の約3億個から54年には約17億個へと急速に拡大するに伴い、価格も大幅に低下し、普及を早めつつあった。その用途はコンピュータのほかに工場の設備機械、事務用機器、家電製品、自動車等広い分野にわたるものであった。

現在は情報化時代といわれ、コンピュータの情報処理機能と通信とを組み合わせてシステム化したデータ通信システムも急速に広がっている。情報化時代がいわれ始めたのも、このメカトロニクスの展開からであった。

こうしたわが国の技術進歩の状況を、55年の『経済白書』は「わが国の経済発展にとって技術進歩の果たした役割は大きかった。製造業の生産は、昭和30年から54年までの間に約11.6倍拡大したが、このうち約30%は技術の進歩によって生じた」と試算し、さらに56年の『経済白書』では次のように評価している。

「これまでわが国産業は、外国技術の導入やそれに自己開発技術を加えて改良・改善を行い、新製品の開発や大量生産技術の充実・普及等、技術革新の導入を進めて、高い経済成長を達成してきた。その結果、現在ではわが国産業の技術水準は、航空機、原子力機器、情報処理(ソフトウエア)等一部先端技術では世界のトップレベルとは、まだ格差があるものの、その他のほとんどの分野では欧米諸国にほぼ肩を並べる程度に達したとみられる。鉄鋼や家電、自動車等の産業では逆に世界をリードしている面もある。

また技術開発力も、技術の導入・適用、普及・改善の過程を通じて次第に高まり、とくに改良や応用、さらにシステム化の面では世界のトップレベルにあるとみられるようになった」

この時期の飛躍的な技術革新によって、わが国は経済大国であるとともに技術大国ともいわれるようになったのである。

ロボット化が進んだ自動車組立工場
ロボット化が進んだ自動車組立工場

■―建設技術も高度化

産業界の技術の高度化とともに建設業における技術開発も積極的に行われたが、その幅を広げることとなったのは、エネルギー関連施設の建設にかかわる技術である。第2次石油危機後、エネルギーの多様化のため、石炭火力への切替え、原子力・LNG発電の推進が図られ、さらに、石油備蓄施設や省エネ建築などが国家的施策として推進された。

また、エレクトロニクス産業の興隆は、生産工場のクリーンルーム関連技術の進歩を促し、さらに本四架橋などの国家的プロジェクトの推進、都市部の地下交通・下水道トンネルなどが、従来の技術を大きく発展させる契機となった。大手建設会社は競って研究開発に人員と資本を投下し、その技術を大いにアピールして工事の獲得にしのぎを削りつつ受注量を伸ばし、業績を回復させていった。

■―当社の新工法と技術開発の方向

昭和51年(1976)の経営計画では、技術開発について冒頭、「省力化はもとより、省資源、省エネルギー、低コストを目指した設計・施工技術、新材料の開発を図る」と述べている。それが52年、53年になると「工事受注力の強化を目的として需要の創出に結び付く技術の開発を図る」あるいは「より営業に指向した技術開発を行う」として、その重点項目の第1に「資源及びエネルギーの備蓄および効率利用に関するもの」の技術開発をあげている。これが54、55、56年には「新規市場の開拓を目指した技術開発を推進する」になり、57年には「将来需要のための技術開発」を技術開発の方針の最初にあげている。

先述したような技術開発の新しい波のなかにあって、第2次石油危機以来、大手建設各社はいかにして生き残るかという危機感をもって企業活動の将来ビジョンの議論を展開させていたが、当社もそれにもれず、技術開発に託する比重をさらに高めていくことになったことを、これらの経営計画の言葉はうかがわせる。

以下に記すそれぞれの技術は、技術開発の重点項目とされ、この時期に当社が研究開発した技術の代表的なものである。これらのほかに、「大空間」「新素材」「施工のロボット化」なども、このころすでに研究開発が進められていた。

そして、こうした技術開発と密に関係するのがコンピュータの発達と、そのソフト開発である。この方面では当社はこの時期から他社に先がけて多くの実績を積んでいった。

技術研究所本館
技術研究所本館
床左官仕上げロボット
床左官仕上げロボット

■―土木に関する技術開発

高度成長時代に始められた多様で大規模なわが国の土木事業は、昭和50年代に入ってもさらに国土をおおうかたちで繰り広げられていった。そして、より厳しい条件下での巨大なプロジェクトの遂行や人口集中の著しい都市の環境整備、石油代替エネルギー問題という緊急課題にも対応することが迫られていったのである。

そうしたなかで、土木技術に求められたものは、これ以前に噴出した公害への反省も含め、一段と高度な信頼性のある技術であり、低成長時代に適応した経済的な技術であった。

●地盤改良技術

地盤改良技術は、高速道路や新幹線工事とともに40年代までに一気に花開いた。それは、全国的に広く分布している泥炭地帯をはじめ沖積低地や河口、海岸付近の軟弱地盤に大断面や大型の構造物を施工する必要からであった。ちなみに、当社の地盤改良での最初の発明は「ファゴット工法{注1}」であり、39年(1964)に研究に着手し、41年に特許出願して登録され、以降、膨大な実績を積んだ。

しかし、これら地盤改良工法も、振動、騒音や地下水汚染などの公害問題、施工対象の地質による工法の適・不適、つまり工法の汎用性や経済性、信頼性などでさらに一段と研究開発が求められていた。

50年代に入り、経済性などの点から「バーチカルドレーン工法{注2}」が多く採用されるようになったが、最も適用性が高いということから、この時期注目を浴びたのが深層混合撹拌工法であった。当社がこの工法として独自に研究し、54年に開発に成功したのが「Oval-DM工法{注3}」である。この工法の最大の特徴は、地盤改良機に当社独自のOval(だ円)型の撹拌翼がついていることで、この楕円撹拌翼は抜群の撹拌力を発揮し、均一で強度の強い地盤を造成することができる。もちろん無公害工法であり、現在進行中の東京国際空港(羽田)沖合展開関連事業で大きな成果をあげている。また、水中に構造物を施工するときに威力を発揮する水中固化地盤造成工法の「アクアソイル工法」(60年開発)や、法面防護の新工法である「アースネイリング工法」(59年開発)の開発に成功しているということもこの分野でのトピックスであった。

注1 ファゴット工法:この工法は軟弱地盤にムシロを敷いて、その上に土をまくとその上は人が歩けるようになるというごく単純な原理を応用したものであるが、これを工業化したところに大きな価値がある。

注2 バーチカルドレーン工法:地中鉛直方向にドレーン材を打設して排水を促進し地盤を安定させる工法。

注3 Oval-DM工法:Oval(だ円)-Deep Mixing工法の略。

●トンネル掘削技術

シールド工法は、わが国特有の沖積軟弱層での工事量の増大に伴い独自の発展を遂げていったが、それは切羽の安定を確保し、地盤沈下などによる周辺環境に対する影響を最小限に抑えるなど一段と厳しい施工条件下の工事を可能とし、かつ、掘削進行のスピード化を最大ポイントとしたものであった。こうして開発されたのが「泥水式シールド」や「土圧式シールド」であり、現在この2工法がシールド工事の90%を占めるまでに普及している。

大都市の環境整備として下水道や地下鉄網の建設が相次ぐ50年代に、当社もこれら工法を導入し、その後、自動化や大口径化、長距離掘進や高水圧下の施工、そして複合断面の施工や岩盤での施工などに向け、独自の研究開発を進めてきた。

そうした成果の一つが、泥水式シールドで62年に竣工した世界最大径(11.22m)の大阪市平野川水系街路下調節池(JV)であり、また、63年に海底に掘られたものとしては世界最長(3,685m)の中部電力川越火力発電所ガス導管用トンネル(JV)であった。

さらに、シールド工法に関する開発で特筆すべきは、53年に開発に着手し、59年に実用化、60年5月には特許登録もされた「気泡シールド工法」である。同工法は、その後、大手を含む同業他社45社に特許の実施権を与え、当社が会長となって気泡シールド工法協会も設立するなどして驚異的なスピードで実績を伸ばしている。

この工法は、マシンの土圧室内に圧縮空気により作られる微細で緻密な気泡を注入し、掘削土の流動性と止水性を高めながら掘進するため、従来の土圧式シールドがもつ問題点、たとえば、切羽の土質によってはマシンの土圧室内に土が詰まってしまい掘進が不能になることや、地下水位の高い砂地盤で起こるスクリューコンベアからの土砂や水の噴出などに対して、大きな効果をもつ工法である。

経済性にもすぐれ、あらゆる地盤に適用できるため、“まさにこれからのシールド工法”と開発当時宣伝された。この期待を裏切らない工法であったことは、開発から7年たった平成2年末には、同工法の実績が151件に達したこと、また63年の土木学会技術開発賞が与えられたことからもうかがえる。

シールド工法でのその他の開発としては、49年から61年まで長期にわたって開発が進められた「場所打ちライニング工法{注1}」や、62年から大成建設、大豊建設と研究会をつくり共同で開発した「DOT工法{注2}」があげられる。場所打ちライニング工法は、わが国特有の軟弱でかつ高水圧地盤に適用でき、より一層の安全・合理的な施工、コストダウンが図れるシールド工法である。DOT工法は、とくに都市部において用地問題が厳しくなる一方の状況下で、円形断面に比べ不要断面が少なく、占有面積や占有幅が小さく経済的なシールドを目指して開発した工法で、すでに東京と広島で共同溝や地下鉄工事に採用が決まっているなど、これら2工法の開発は、すぐれて経済的な工法であるという点で時宜を得たものであった。

さらに、シールド工法のほかにトンネル掘削の方法として、50年代後半に本格的に導入が始まり、いまや山岳トンネルでは標準工法になっているNATM{注3}や、やはり50年代後半に中小水力発電所の計画が増加するなかで、その導水路工事で注目を浴びたTBM工法{注4}でも当社は多くの研究開発を重ね、実績を積んでいる。

注1 場所打ちライニング工法:わが国初の掘削・覆工並進工法で、従来のセグメントを使用するシールド工法と違い、シールド機の後部で掘削と並行して地山と内型枠の間にフレッシュコンクリートを加圧された状態で押し出し、地山間に密着した覆工コンクリートを構築するセグメント不要の現場打ちコンクリートライニング工法である。当社独自に開発したこの場所打ちライニング工法をベースに、61年から63年にかけて、この工法のより高度な技術を目指して東京電力、奥村組と共同で開発したのが「TELS工法」である。

注2 DOT工法:Dorble―O―Tube工法の略。断面がマユ形ないしダルマ形のトンネルを同一平面で一度に掘削する工法で、同様の工法としては熊谷組を中心に開発したMF(Multi―circular Face Shield)工法がある。当社は両工法の協会に入会している。

注3 NATM:New Austrian Tunnelling Methodの略。ロックボルトと吹付けコンクリートを主たる支保部材として、地山の強度的劣化を極力抑え、地山が本来もっている耐荷(支保)能力を積極的に活用しながら現場計測の管理のもとにトンネルを掘進する工法である。

注4 TBM工法:Tunnel Boring Machine工法の略。掘削断面が小さく、大型機械の使用が困難で、施工能率がダウンし工事費がかさんでしまうような場合に有効な全断面掘削工法である。シールドが主に軟弱地盤を対象としているのに対して、TBMは主として岩盤を対象とした機械であり、騒音もないことから、発破が採用できない市街地の工事にも適している機械である。基本的にはグリッパージャッキを地山に張って推進するが、悪い地質の所ではセグメントを入れ、シールド掘進も可能である。

●コンクリート技術

戦後、コンクリート構造物の普及にしたがって、わが国のコンクリートの品質も大きく向上してきたが、50年代に入り原子力発電所ほかエネルギー貯槽施設などで一段と高品質・高強度なコンクリートが求められるようになってきた。そして50年代後半からは、塩害やアルカリ骨材反応に代表されるコンクリート構造物の劣化も問題となってきた。

打設前にコンクリートを冷やすことによって、コンクリートの温度ひび割れを低減させたり、暑中コンクリートの強度低下を防いで高品質のコンクリートを得ようとするのがプレクーリング工法であるが、この冷媒に液体窒素(-195.8℃)を使用しようというのが、当社が大阪ガスと59年から共同開発していた「NICEクリート工法{}」である。液体窒素はコンクリートの熱を奪い、自身は気化してコンクリート中に残存しないため、従来の氷や冷水を用いる他の方法と比べて、冷却前後でコンクリートの品質に変化を与えることなく希望する温度まで冷却することができるという大きな利点がある。当工法は開発後の実績も認められ、62年度土木学会関西支部技術賞、平成元年日本コンクリート工学協会技術賞を受賞し、NICEクリート工法協会の設立につながっていった。

一方、高強度コンクリートの研究も、海洋石油開発のプラットフォームや超高層RC、原子力施設、地中連続壁の薄壁化などの需要を見込んで、圧縮強度を数倍に上げる研究開発に50年代初めから着手していたが、関西電力大飯発電所3・4号機のPCCVでは450kgf/㎠、西戸山タワーガーデン、桜宮リバーシティのウォータータワープラザでは420kgf/㎠など実績を重ね、設計基準強度が1,000kgf/㎠を超える現場打ち超高強度コンクリートの開発へと発展していった。

また、長大橋、海上空港、海洋石油貯蔵施設など、水中でのコンクリート工事が多く予想された時期でもあり、これに対応すべく開発した「アクアコンクリート」は、わが国初の純国産水中コンクリートとして58年開発に成功したものである。開発後、これが初めて大量に使用されたのは関西国際空港連絡橋である。

このほか、表面を緻密化してコンクリートの耐久性を向上させる「エクセルフォーム工法」やひび割れを制御する各種技術などもこの時期に開発されている。

注 NICEクリート工法:Nitrogen Cooling High Endurance工法の略。

●LNG(液化天然ガス)タンク建設技術

クリーンエネルギーとして、石油危機後は石油代替エネルギーとしてとくに注目されるに至ったLNGは、日本では全量を海外から輸入している。この受入れ基地の全設備投資の約5割がLNGタンクによって占められることから、当社もその建設技術の開発に大きな力を注いだ。

極低温の液化ガス(-164℃)を安全に保冷貯蔵する大型魔法ビンのような機能をもつLNGタンクは保安・防災への配慮を最優先し、さらに低温のもたらす幅広い技術課題と大型構造物の耐震性の確保が研究開発の柱となった。

低温に関しては、コンクリートの低温下の材料特性や構造挙動に始まり、鉄筋、PC鋼材およびそれとコンクリートを複合した構造の低温特性に関し実験・研究を重ね、設計法、材料仕様、施工法を確立していった。地下に建設するタンクでは、さらにタンクから放出する冷熱による地盤の凍結現象と、ヒーターによるその防止法の研究開発を進め、コンピュータ・シミュレーションによる現象の予測と防止法の設計を可能にしていった。

耐震に関する研究開発(地下、地上に共通して)は、タンク内のLNG液の地震時挙動を正しく予測し、液体とタンクとの間で、またタンクと地盤との間で、力および変形が相互に影響し合う現象をとらえ、コンピュータ・シミュレーションを可能にすることに重点がおかれた。このため、モデルタンク、モデル地盤での振動実験や実物タンクの地震観測を数多く行い、耐震性の高いタンク構造の開発に結実させたのである。

こうした基礎研究の一方、施工については、大深度地中連続壁工法を積極的に用いるほか、施工管理にも先進的な技術を駆使して多くの実績を重ねていった。

わが国の貯蔵タンクの建設では、平成4年8月までに地上タンクと地下タンクを合わせてその4割近くを当社が設計・施工し、台湾においても3基の地下タンクを建設したのは、こうした研究開発の結晶といえるであろう。

また、地上タンクの大阪ガス姫路LNG基地№1-3では、日本で初めてPC(プレストレストコンクリート)製の防液堤が採用され(58年)、土木学会技術賞をはじめとする技術各賞を受賞した。

そしてさらに、金属二重殻地上タンクとPC防液堤を一体化したPC外槽式LNGタンクは、平成2年、世界最大級の地上タンクである大阪ガス泉北第二工場16号LNGタンクで採用されるなど、その研究開発の成果はみごとに花開いてきた。

●海洋技術

40年代後半から50年代前半にかけての2次にわたった石油危機を契機に、海底の石油・ガス開発プロジェクトが活発化したが、当社はとくにコンクリートプラットフォームの技術について東洋建設と共同して、57年9月、オランダ・イギリスの国際コンソーシアムAnglo-Dutch-Offshore-Concrete(ANDOC)と技術援助契約を結び、同社保有のコンクリートプラットフォームの設計・施工技術を導入した。

その後、自社開発による耐震・耐波・耐液状化・耐氷解析技術等を加え、浅海型、深海型、氷海型、浮游型等各種タイプのコンクリートプラットフォームを独自に開発し、58年9月から61年12月にかけ次々とこれらに対するノルウェー船級協会の基本承認を取得していった。

実績はまだないが、将来の紀淡海峡、津軽海峡架橋プロジェクト等にも応用しうるこうした巨大なトータル技術システムは、一朝一夕に成しえないため長期の研究開発を要し、50年代にすでにこうした研究開発をスタートさせていたことは、当社の技術開発における一つのスタンスとして特筆に値するであろう。

Oval-DM工法―撹拌翼の軌跡(左・水平翼、右・だ円翼)
Oval-DM工法―撹拌翼の軌跡(左・水平翼、右・だ円翼)
泥水式シールド掘進機
泥水式シールド掘進機
東京機械工場で製作された気泡シールド掘進機
東京機械工場で製作された気泡シールド掘進機
場所打ちライニング工法(東京電力野沢付近管路・JV)
場所打ちライニング工法(東京電力野沢付近管路・JV)
NATMのコンクリート吹付けロボット
NATMのコンクリート吹付けロボット
NICEクリート公開実験(昭和62年8月大阪ガス姫路製造所工事事務所で)
NICEクリート公開実験(昭和62年8月大阪ガス姫路製造所工事事務所で)
アクアコンクリート
アクアコンクリート
東京電力東扇島LNG基地のLNGタンク内部
東京電力東扇島LNG基地のLNGタンク内部
PC防液堤が初採用された大阪ガス姫路LNG基地№1-3地上タンク
PC防液堤が初採用された大阪ガス姫路LNG基地№1-3地上タンク
深海型コンクリートプラットフォーム
深海型コンクリートプラットフォーム

■―建築に関する技術開発

昭和30年代、40年代を通じて仮設材の鋼製化が進み、建設機械が普及し、また施工の省力化に向けプレハブ化や現場作業のシステム化などが進んだ。当社もそれらをいち早く導入し、各現場に定着させることによって、ビルの高層化や大規模化という社会のニーズに対応していった。こうして50年代に入ると、もはや一般の建築現場の風景を一変させるような目新しい施工技術の開発は見られなくなってきた。

こうした状況にあって、この時期の当社の代表的な建築技術の開発は、エネルギー関連技術や先端技術に対応した開発を中心に進められた。

●プレストレストコンクリート製原子炉格納容器(PCCV)

原子力発電所で最も大切な原子炉を収納し、万一の場合でも放射性物質を外に出さない「いれもの」が格納容器である。わが国ではこれまで格納容器は鋼製でつくられてきたが、発電容量の大型化に伴い、50年代の初めから格納容器としての大型化が可能なプレストレストコンクリート製原子炉格納容器(PCCV{})の導入が検討され始めた。

PCCVの概略寸法は高さが基礎上面より約65m、内径43m、シリンダー部厚1.3mの巨大な構造物であり、構成は内側に気密性を受けもつ鋼製のライナーと外側のプレストレストコンクリートから成る。日本のPCCVでは鉄筋はD51(直径51㎜)、1本当たり1,000t級のテンドン(緊張材)が使用されている。

格納容器の主な機能は気密性、耐圧性であるが、PCCVでは放射線の遮蔽効果も期待できる。

PCCV基準化のため50年8月、通産省に原子力発電用コンクリート容器技術基準検討会が発足し、設計の基準化と技術の実証性に取り組んだ。

PCCVの技術は米国、フランスを軸として開発が進められてきたが、わが国への導入には耐震性を中心に外国技術の見直しを行い、大規模な実証試験を経て日本的技術としての確立を図った。基準化にあたっては原子力部(当時)が積極的に取り組み、54年に当社技術研究所で実施した日本原子力発電と関西電力とのPCCVの大型水平加力実験は、実証実験として世界的に著名な実験となった。

日本で初めてのPCCVは、52年に始まった日本原子力発電・敦賀2号機に取り入れられ結実した。当社は早くから三菱重工業とPCCVの利点につき討議し、42年から研究を始め、技術の蓄積を重ねてきた。これらを背景に、敦賀2号機の基本設計は米国ベクテル社が行ったが、三菱重工業に協力して許認可取得、実施設計の業務を原子力部、設計部、技術研究所が受けもった。これを母体として工務部門を加えて53年4月から55年3月まで敦賀2号機の実施プロジェクトとしてGT-2プロジェクト・チームが設置された。

PCCVは敦賀2号機のあと、関西電力の大飯発電所3・4号機、九州電力の玄海原子力発電所3・4号機と実績を重ねている。

注 PCCV:Prestressed Concrete Containment Vesselの略。

●免震・除振・制振技術

50年代に入って金融機関のオンライン化に伴い、大地震時における大型コンピュータの安全確保、機能保持の要請が高まり、その対応が課題となってきた。こうした情勢のなかで、51年、免震床「ダイナミック・フロア・システム」の開発、実用化が行われた。これは、3次元床免震構法、すなわち、水平は低摩擦材によるすべりと摩擦ダンパー、鉛直はコイルバネとオイルダンパーを組み合わせる2重床の免震技術であり、当時としてはまさに画期的な技術として、その後十数年を経て開花する免震・制振ブームの歴史的原点となった。また、施工実績は延約8万㎡(平成3年3月末現在)と、現在においても当社はわが国最大の圧倒的な実績を有し続けている。

同じころ、小さなマス(重量物)と鉄板でつくったバネによって機械振動を低減する制振技術「ダイナミックバランサー」の開発にも着手し、実用化した。そして55年には、除振技術として、精密機械工場建家本体の微振動対策検討用プログラム「V.I.P.」の開発に着手し、58年の完成以来、半導体工場や精密工学関連研究所など、数多くのプロジェクトでの微振動環境評価・設計に利用されている。

50年代後半から60年代にかけて、建物の安全性確保とあわせて 、居住性等の付加価値を一層高めようとの社会的要求から、高さ31m以下の建物の免震化、および比較的固有周期の長い(1秒以上)建物の中小地震・季節風時の居住性の改善を主眼として、建物制振技術の開発が各社競い合うかたちでスタートした。

当社は60年、大手ゼネコンのなかでいち早く積層ゴムを利用した免震ビル構法として、積層ゴム+鋼棒ダンパー、鉛入り積層ゴム、高減衰積層ゴムの3種のタイプについて日本建築センターの技術評価を取得した。そして、61年の第1号物件である当社技術研究所・ハイテクR&Dセンターをはじめとして、以後の科学技術庁無機材質研究所無振動特殊実験棟、東京都老人総合研究所ポジトロン医学研究施設、渋谷清水第1ビルの受注にこの技術はタイムリーに結びついていき、“売れる先端技術”の先鞭として社内外の反響を呼び起こした。

制振技術については、アクティブにマスダンパーを作動させるアクティブ制振システムや、水タンクを利用したパッシブ制振システムも開発、実用化している。

●省エネルギー技術

省エネルギー技術に関する当社の歴史は古い。石油危機の10年も前の38年に、ピンボード制御盤によるワンマンコントロール方式を導入した大阪神ビル(日本建築学会賞受賞)を皮切りに、48年には、屋内発熱を回収して暖房に利用したり、世界初の最適化予測制御を開発・導入した大阪大林ビル(日本建築学会賞、空気調和・衛生工学会賞受賞)など、数々の省エネルギービルを建設している。

その実績を買われて、49年にスタートした「サンシャイン計画{注1}」にも三洋電機と共同で参加し、52年、枚方ソーラーハウスを建設している。これは太陽エネルギーの有効利用を目指した一戸建住宅の太陽熱冷暖房・給湯システムを研究開発するためのものであったが、ここにも多くの省エネルギー技術が組み込まれていた。

こうした省エネ要素技術を組み合わせ、建築デザインと設備の計画をトータルに考えた省エネルギービルを実現したいという気運のなかで、技術開発委員会・省エネルギー委員会で、省エネのモデルビルの計画がもち上がったのは54年末のことであった。

当時の大型ビルの年間1㎡当たりエネルギー消費量は約450Mcal(メガカロリー)、日本で実際に稼働している省エネビルで241Mcalであったが、米国ではカリフォルニア州政府ビルで121Mcal/㎡・年を目標に着工したとの情報も刺激となり、世界一の超省エネビル建設にチャレンジすることになった。そのビルは当社の技術研究所本館、目標値は100Mcal/㎡・年であった。

ビルの省エネをトータルに実現するには、数多くの省エネルギー手法をきめ細かく検討し、全体を一つの整然としたシステムにまで組み上げなければならない。それは高度な総合エンジニアリング力を必要とする非常に難しい作業である。このためにコンピュータを駆使し、個々の省エネルギー手法の効果を定量的にとらえ、エネルギー消費量のみならず、建設工事費をも考慮することによって、省エネルギー手法の有効性を迅速、簡便に評価しうるプログラム「ENECOST」も開発された。

技術研究所本館ビルの建設に関しては省エネルギーのアイデア募集に多数のアイデアが集まったが、そのなかからその時点において実現可能なものを選び、さらに従来の省エネルギー手法も加えて、採用すべき手法の検討を重ね、98の省エネ手法{注2}が採用された。

こうして計画スタートから20カ月たった57年4月、同本館ビルが竣工したが、同ビルのエネルギー消費実績は一般事務所ビルのわずか4分の1の87Mcal/㎡・年という画期的な数値を達成した。建設費は約20%割高となったが、そのための余分の費用は、建物の法定耐用年数65年の7分の1強に当たる8.7年で回収され、以後は省エネによる利益が得られると試算された。

この建物は59年にASHRAE(アシュレー:米国暖房・冷凍・空調学会)エネルギー賞最優秀賞を米国以外の作品で初めて受賞したのをはじめ、同年、空気調和・衛生工学会賞、61年日本建築学会賞(業績部門)を相次いで受賞し、“省エネ技術は大林”の評判をとった。当社はその後も省エネ・新エネ技術開発として、コージェネレーション(熱と電力の同時供給)、氷蓄熱、風力発電、スーパーヒートポンプ等、この分野での技術開発に積極的に取り組んでいる。

注1 サンシャイン計画:通産省工業技術院の「2000年をめどにクリーンエネルギーを開発しよう」という計画。

注2 省エネ手法:そのなかには「ダブルスキン」の採用をはじめとする建築の断熱・日射遮蔽、通風に関する15の手法、「太陽熱利用や土中蓄熱」など太陽熱の能動的利用(アクティブソーラ)に関する5つの手法、「タスク/アンビエント照明方式」などを含む照明電力の低減のための11の手法ほかがある。

超省エネビル・当社技術研究所本館(昭和57年竣工)の断面パース
①ダブルスキン
②無梁版構造
③太陽熱コレクター
④太陽電池
⑤設備機械室
⑥蓄熱槽
⑦省エネルギー照明方式
⑧太陽熱土中蓄熱

地道な努力が奇跡的な効率を達成

竹内 均東京大学名誉教授は、技術研究所本館ビル建築の意義を『98メガカロリーへの挑戦』(当社製作パンフレット)の中で、次のように述べている。

「消費エネルギーが半分ですむといった工夫は、容易になされるものではない。これまでの2倍の効率のエンジンを作ったら、わが国のマスコミは一斉に、これを世界的な大発明としてとりあげるに違いない。わが国における火力発電の総合効率は約41%である。火力発電所の効率を、これの2倍の82%にあげることは、不可能といってよいことである。(略)

画期的な大発明ならぬ、地味な工夫の積み重ねが、奇跡的な効率をもたらす。1年でもとをとるといった華やかさを捨てて、長期的にみてはじめて経済性が理解されるといったいきかたをとる。この二つだけをとりあげても、それはこれからの科学や技術のゆくえを暗示するものである。象徴的にいえば、それは総合化でありまた成熟化である。

私はこれまで、省エネルギーや総合化をねらいとする第3世代の学問の重要性を、ことあるごとに強調してきた。今度大林組の作った超省エネルギービルは、私のこれらの主張のシンボルのように思えて、うれしくてならない。」

●サイロ貯炭技術

46年に導入されたスウェトー工法はスリップフォーム工法の一つであるが、技術の完成度がきわめて高く、多くの優位性をもつものであった。しかし、大型のRC塔状構造物のニーズはそう多いものではなく、そこで塔状構造の施設を周辺技術も含めて総合的に開発し提案することによってニーズをつくり出すことがこのころの技術開発の大きなテーマの一つとなっていた。公害防止に着目した内筒式超高煙突や自然通風式冷却塔がそれであり、この方面でも当社は実績を積んでいった。さらに50年代に入ると美観の面から、その特長の一つである二次曲面を生かしたつづみ型のシルエットをもつ大型の高架水槽も受注し始めた。

第2次石油危機直後の54年、IEA{}の石油火力新設禁止宣言を機に石炭火力がにわかにクローズアップされ、多くの電力会社が環境に適合する貯炭設備の検討に取りかかった。これに応えてサイロをはじめとするクローズドタイプの貯炭設備の技術開発がプラントメーカー、ゼネコン入り乱れての競争となった。

当社は、スウェトー工法の用途開発の一つとして、石炭や鉄鉱石を対象とした超大型サイロの技術開発をすでに進めていたこともあり、いち早く55年には日立製作所と共同で新型払出し装置「Wコニカルシステム」を開発し実証実験を行った。これが評価され、56年に四国電力西条発電所で、日立製作所と共同でターンキーベースの受注に成功した。これは、火力発電所の本格的なサイロ式貯炭・混炭・運炭設備として初めてのもので、課題とされていた“詰まり”や“自然発火”を解消し、現在まで約10年間順調な稼働を続けており、完成技術としての評価を確立している。

注 IEA:International Energy Agency(国際エネルギー機関)。第1次石油危機の際に設けられた。

●クリーンルーム技術

クリーンルーム技術はアメリカのNASAで宇宙開発とともに発展し、産業界では電子工業はもとより、精密機械工業やバイオテクノロジー等、製品の精密化、高品質化や信頼性を高めるため、より高いクリーン度が求められるようになっていた。一方では、これまで利用されなかった分野でも利用が広まり、いまやクリーンルームは重要な役割を果たすようになってきている。

クリーンルームは大きく工業用クリーンルーム{注1}とバイオロジカルクリーンルーム{注2}とに分かれる。50年代後半をピークに当社は多くの施工実績を重ね、ここで蓄積された技術ノウハウに裏付けされたクリーンルームの総合エンジニアリング技術を開発してきた。

58年には技術研究所内に、換気回数を10回/h~540回/h変化でき、清浄度を“クラス{注3}0”まで自在にできる実験用の高性能クリーンルームを設置した。これにより、必要な清浄度を最も効率的に実現でき、かつ経済的なクリーンルームについてのエンジニアリング能力を一層高めることができた。

また、61年にはクリーンルームのリークテストで検査・測定を行うロボット「クリムロ」の開発も行った。

これらの技術とその後の開発の総合的成果として、平成3年には、1立方フィート中に0.1ミクロン以上の粒子が1個以下といった、世界で最高水準の大型超クリーンルーム(NECローズビル工場メガライン)を完成させている。

注1 工業用クリーンルーム:半導体製造、精密機械組立、薄膜・フィルム製造、ディスク・リードフレーム、磁気テープ製造、原子力施設など。

注2 バイオロジカルクリーンルーム:病院の手術室、無菌治療室、未熟児新生児室、食品加工・包装、医薬品製造、微生物・純粋培養実験など。工業用クリーンルームと異なり、さまざまな微生物を制御することが主目的の空間。

注3 クラス:米連邦規格で1立方フィート中の0.5ミクロン以上の微粒子の和が、たとえば1,000個なら“クラス1,000”となる。

●超高RC建築技術

40年代に登場した超高層建築は、S造で主に事務所ビルであったが、50年代後半から同じ超高層でもRC造による超高層住宅がブームを迎えていった。

こうした超高層RC建築に対する業界の動きに応じて、当社はハード、ソフト両面から研究開発を進めてきたが、その契機は43年の十勝沖地震であった。技術研究所を中心に、RC建物の耐震性の向上および高層化・超高層化施工の合理化を目指して、これら建物の耐震設計法の研究開発が行われた。

59年9月に設置された技術開発委員会第三専門委員会・RC超高層住宅小委員会のもと、高強度コンクリート(480kgf/㎠)の実物大の打設や、破壊実験による実証、50階まで設計可能なRC超高層一貫構造設計プログラム「STREAM-H」「STREAM-Z」の開発、内部吹抜け型超高層住宅の風洞実験、超高層住宅コンペ出品なども精力的に行ってきた。

こうした成果が、営業努力と相まって民活第1号の東京新宿・西戸山タワーガーデンに結びつき、さらに61年末、大阪・桜之宮中野地区都市型集合住宅プロジェクト開発設計競技で最優秀賞を得て、住宅としては日本一の高さの超高層RC集合住宅、桜宮リバーシティ・ウォータータワープラザ(RC造、地下1階、地上41階、塔屋1階、延4万7,114㎡)を手がけることとなった。

PCCV模型1/8の構造耐久実験
PCCV模型1/8の構造耐久実験
原子炉建屋ベースマット部1/10配筋模型
原子炉建屋ベースマット部1/10配筋模型
免震ビルの積層ゴム設置工事(渋谷清水第1ビル)
免震ビルの積層ゴム設置工事(渋谷清水第1ビル)
当社技術研究所・ハイテクR&Dセンターの免震装置(積層ゴム+鋼棒ダンパー)
当社技術研究所・ハイテクR&Dセンターの免震装置(積層ゴム+鋼棒ダンパー)
ASHRAE・エネルギー賞を受賞(昭和59年)
ASHRAE・エネルギー賞を受賞(昭和59年)
Wコニカルシステム(四国電力西条発電所貯炭設備石炭サイロ)
Wコニカルシステム(四国電力西条発電所貯炭設備石炭サイロ)
当社技術研究所の実験用クリーンルーム
当社技術研究所の実験用クリーンルーム
自走式クリーンルーム検査ロボット「クリムロ」
自走式クリーンルーム検査ロボット「クリムロ」
工事中の西戸山タワーガーデン
工事中の西戸山タワーガーデン

■―地中連続壁技術の新展開

世界最高の技術と実績を誇る当社の地中連続壁工法であるOWS工法は、平成2年(1990)5月現在、工事件数で824件、累計壁面積で268万㎡を超えた。

昭和30年代に開発を始めた地中連続壁工法に関する技術は、初期のころから仮設の止水や土留めとしてばかりでなく、構造物の本体としても利用することを目指して開発が進められた。地中連続壁を建物の杭や耐震壁として利用するためには、建築確認に先立ち日本建築センターの評定を各建物ごとに取得する必要があるが、当社は、その評定取得の実績を積む一方、種々の実験を行うなど技術の高度化を図っていった。そして50年代の初期には、当社は他社に相当先んじて、地中連続壁を日本建築センターの評定を要せずに杭や耐震壁に利用できる技術として確立したのであった。その代表的な開発例は以下に示すが、60年代に入り、さらにOWS拡底杭(支持力の大きな場所打ち鉄筋コンクリート地中壁杭)やSUF工法(地下階のない建物の基礎杭・地中梁を地上よりOWS工法で構築、一体化した工法)など、たゆまぬ開発が進められた。

●土木構造物の基礎に応用

OWS工法で施工した地中連続壁の単位壁体相互を特殊な継手構造を用いて剛結・一体化し、ケーソンと同等の耐力をもつ大断面の函型剛体基礎を築造することができる新しい基礎工法が「連壁剛体基礎」で、54年、当社独自で開発、実用化したものである。この種の実用工法としては当社の工法が最初のもので、国鉄(当時)東北新幹線の飯坂工区架道橋基礎に採用されたのがわが国第1号である。

その特長としては、―剛性の高い任意の形状、大きさの基礎が築造できる。構造体が地盤に密着されるので、水平荷重に対して抵抗力が大きい。構造物本体として使用できるのみでなく、工事中の仮設土留壁を兼用できる。軟弱層から岩盤まで、適用地盤の範囲が広い。既設構造物に接近した施工が可能で、周辺地盤の既設構造物に与える影響が少ない。ケーソンより短工期で、しかも安全面ですぐれている。―などがあり、実績もその後順調に伸びている。

●大深度・大断面掘削へとパワーアップ

ハイドロフレーズ掘削機は、地下100m級の大深度地中連続壁を正確に能率的に掘れる掘削機で、53年にソレタンシュ社と共同開発し、55年に東京電力東扇島と東京ガス袖ケ浦のLNG地下タンク建設で、タンク外周に沿って深さ100mの連壁を建造するとき初めて実用化されている。ハイドロフレーズ掘削機の能力をさらにアップしたものが、62年に導入されたスーパーハイドロフレーズ掘削機で、施工壁厚1,500~3,200㎜、掘削深度170mまで大深度・大断面地中連続壁の施工を可能とした。

●地下ダムと地下立体駐車場などの用途開発

地下ダムとは、地下水盆を構成している沖・洪積層の滞水層の形や不透水層の形状などを利用して、人工的に水を地下に貯留し、必要に応じてこれを取水利用しようとするものである。

57年、当社は独自にこの地下ダムに関する技術を開発し、いまでも地下ダム建設に関して基本設計から調査、設計、施工、管理までの一連のコンサルティングができる技術を保有している数少ない一社である。

福井県三方町の常神地下ダム(59年11月完成)が、地中連続壁(OWS壁)によるものでは日本で初めてのもので、その後、九州や沖縄でOWS以外の工法でも次々に工事を受注し、水のない世界各国からもこの事業は熱い目で見られている。

一方、地下立体駐車場について、当社はウォール ファウンデーション(OWS工法によって構築された連壁を杭などの地下構造体に使用するもの)を用い、それによって囲まれた内部地下空間を駐車場シャフトとして利用し機械式立体駐車場に活用するものを「O-PARK」と名付け、53年10月、日本で初めて試みた。以来、地価高騰・土地不足の都心で注目を浴び、現在順調に実績を伸ばしている。

●自硬性安定液(SG)工法の開発

この工法はOWS工法から派生したもので、経時的に硬化して不透水性の壁体になる安定液を使用するのが特徴である。51年に初施工をみたが、当初の用途は地中連続壁工法の事前に行う地盤改良が主体であった。57年に当社が施工した関西電力御坊火力発電所の地中連続壁工事は埋立て直後の人工島で行われたが、本工法の適用により崩壊・逸泥事故を防止することができたため、約10カ月の短期間で約4万4,000㎡の地中連続壁を完成することができた。

その後、当工法は廃液処理が不要な安価な仮設地中連続壁として注目され、SGの中にH形鋼や鋼矢板を挿入する工事も多く行われるようになった。当工法による壁体を本体構造物に利用するために、SGの中にプレキャスト板を挿入するPB(Precast Basement)工法も56年に開発した。

高架橋での連壁剛体基礎の状況図
高架橋での連壁剛体基礎の状況図
スーパーハイドロフレーズ実験工事
スーパーハイドロフレーズ実験工事
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