昭和46年(1971)10月7日午前7時、神戸市御影町の大林社長邸脇の墓所で、創業者の墓前祭を、また同9時からは大阪市天王寺区の生國魂神社で神前祭を挙行し、社長以下役員、関係者が列席した。
終わって同10時半から大阪商工会議所ホールで記念式を行い、墓前祭、神前祭参列者のほか、本店部・室長、主任技師等の上級職員、関係会社役員代表、林友会役員等が多数出席した。
冒頭、大林社長は次のとおり式辞(要旨)を述べ、さらなる飛躍への決意を披瀝した。
「顧みると、今を去る80年前、初代大林芳五郎は徒手空拳をもって大阪靱の地に土木建築請負業を開業したが、時あたかもわが国は近代国家への緒につき始めたところで、初代は時代の赴くところをよく洞察し、敢然と大工事に取り組み、着実にこれを仕上げ、得意先の信頼を得るとともに業界の旧弊を破る努力を重ね、わずか20数年にして全国一流業者の地位を確保するに至った。以来、大正、昭和へと変遷するにつれて社運も興隆し、当社の手がけた建物、道路、橋梁、鉄道等は枚挙にいとまなく、わが国の産業、経済、文化の発展に大きく貢献してきた。
しかしこの間、当社の歩んだ道はけっして平坦なものばかりでなく、危殆に瀕したことも両三度にとどまらず、当社の歴史を振り返るとき、まさに感慨無量なるものがある。
風雪に耐えて今日の大をなしえたのは、もとより得意先、後援者、縁故者の方々のお引き立て、ご支援のおかげでお礼の申し上げようもない。さらに先輩役職員、協力会社各位にも心から感謝申し上げ、その功績を一層光輝あるものとし、多数の方々のご高恩に報いるため、今後の飛躍への決意を新たにするものである。
創業80年を迎えた今日、当社の歴史を回顧して、そこから生きた教訓を学び取り、将来への足がかりとしてみたい。
当社が創業当時、多数の先発業者に伍して、短時日に社業を伸展できたのは、なんといっても大林組が未知のものに敢然と立ち向かい、これと懸命に取り組んで着実に成果をあげてきたことによる。明治34年の大阪における第5回内国勧業博覧会工事、同44年の東京中央停車場工事はその好例で、当時としては未曾有の大型工事をみごとに完成し、前者では大阪一の業者として、後者では全国業者としての地位を確立した。
次に合理性、科学性を尊重することを伝統としてきたことである。早くから役職員を欧米に派遣するなどして海外の先進技術を吸収するとともに、新鋭機械の導入に努めてその成果をあげ、戦後は斯界に誇る技術研究所を設置して、独自の研究開発に努めている。一方、組織、制度についても常に合理化を推進している。
次に人材の育成と活用をあげることができる。創業の昔から“事業は人なり”の精神に徹し、人材を集めて有効な活用に努めたほか、社外からもすぐれた人材を招いて、絶えず清新の血を注入し、体質強化に努めてきた。
以上のことは当社の伝統として連綿として今日に伝わっている。
さて、わが国経済は高度成長を遂げ、建設業界も総じて繁忙のうちに推移してきた。しかし、現在の情勢は米国のドル防衛措置によって、日本経済は試練の時を迎えている。不況の深刻化、高度成長のひずみ是正、安定成長路線への転換等のため、従来の民間設備投資主導型の生産第一主義から公共投資主導型の福祉社会実現を目指して、基本政策の再検討が迫られている。
対外的には輸出第一主義から国際協調主義へと転換し、自由化を推進して、先進国の一員としての役割と責任を果たしていかなければならず、その前途は多難で、従来のような高度成長は期待できない。
1970年代は激動の時代といわれているが、以上の変化にとどまらず、長期的にもさらに激しく流動し、安定を求めて模索していくだろう。その過程でわが国経済の国際化は一段と進展して産業構造はその質的変化とともにしだいに高度化し、技術集約的産業の比重が高まる一方、システム産業の活動が活発化していくと思われる。
このような認識のうえに立って、私どもは今後における経営のあり方ないし建設業の進め方について再検討していかなくてはならない。すなわち従来の技術を売る企業にとどまらず、一段と柔軟な思考をめぐらし、あらゆる知識の集積のもとに企画から設計、施工に至るまでの一貫した業務を行い、より高度の技術と広い分野にわたる知識とを売る企業へと質的な転換を図らなくてはならない。
そこで常日頃心がけるべき基本的姿勢については、次のようにあらねばならないと考える。
第1に、社会に対するわれわれの使命と責任を十分に自覚し、人間中心の豊かな環境づくりに奉仕していく考え方を保持すること。第2に、客観情勢を冷静に判断し、どのような事態にも対処しうる柔軟性に富んだ企業活動を効率的に展開していくこと。第3は、企業競争を勝ち抜くために、資本、技術、知識、経験、人材、信用などの蓄積に努めること。第4に、事業規模の拡大につれ、各個人の仕事は分業化、専門化され、各個人は一段と孤立化の傾向をたどると思われるので、各人の働くことそれ自体に人間的充実感が得られるような主体性ある人間中心の業務、人間中心の経営が推進されることである。
私は今後このような考えのもとに、これまでの諸施策をさらに積極化する一方、とくに営業面では、発展が予想される諸分野に対応できるような技術と知識を開発整備し、営業戦略を強力に展開していきたい。工事では省力化を主眼としたより科学的な管理手法による施工方式をなお一段と推進し、あわせて労働力の確保について積極的に取り組みたい。
そして組織その他業務全般については、責任体制の確立を図るとともに、コンピュータの有効活用による経営管理システムの計画的推進を目指すこととし、他方、関係会社をさらに育成強化し、大林グループ全体の事業をいよいよ発展拡大していきたいと考えている。
客観情勢は楽観を許さない状況にあるが、役職員がファイトを燃やし一致団結して事に当たれば、いかなる難関も乗り越えることは不可能ではないと信ずる。互いに手を取り合って希望に満ちた未来への道を切り開いていこう。」
社長式辞に続いて、関係会社代表、林友会代表の祝辞があり、次いで特別功労者として相談役白杉嘉明三、元副社長浜地辰助、同徳永豊次(当時故人)、同五十嵐芳雄の4名、40年以上勤続者として副社長嶋道朔郎ほか81名の表彰が行われた。これに対し、特別功労者を代表して白杉相談役が、40年以上勤続者を代表して嶋道副社長が謝辞を述べた。
以上で記念式典を終了し、創業80年記念愛唱歌を本店コーラス部員が斉唱、最後に全員が「大林組万歳」を三唱して散会、正午から祝宴に移った。
この日、同時刻を期し、本店、東京本社をはじめ全国の支店、出張所、工事事務所、海外駐在員事務所、技術研究所、機械工場、その他、当社のあらゆる機関においても、一斉に記念式典を挙行した。
さらに同夜は、旧役員25名と関係会社役員代表を大阪南地の大和屋に招き、大林社長以下幹部が出席してともに往時を回想し、懐旧談に花を咲かせ、この日の喜びを分かち合った。
次いで翌10月8日には大阪、18日名古屋、22日東京において、それぞれ得意先を招待してパーティを開催し、多年の厚誼に感謝の気持ちを表した。大阪では東洋ホテルに850名、名古屋は都ホテルに300名、東京は帝国ホテルに1,500名の来賓が参会、各会場とも盛会であった。
なお、祝典に際し、記念品として得意先関係には創業80年を記念して作製した小冊子『文明をつくる』と西独ゾリンゲン製のハサミを、当社および関係会社役職員、後援者、縁故者関係遺族等には銀製スプーンその他を贈った。
また株主に対しては、46年9月期決算に際し、普通配当年2割のほかに4分の記念配当を行い、このうち8分に当たる配当を株式による利益配当をもって実施した。その結果、資本金は6億円増加して156億円となった。
こうして創業80年記念行事はとどこおりなく終了した。それは明治、大正、昭和の3代にわたる過去を追想して先人の努力を偲び、得意先、関係者に感謝し、転換と厳しさの予想される未来への覚悟を新たにする、意義ある催しであった。
そして翌47年10月には、正史『大林組八十年史』を刊行し、全役職員ならびに所要の関係先に贈呈した。