大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

7 海外部門の新たな展開

■―拡大する事業拠点

昭和50年代後半より、ニューヨーク駐在員事務所やクアラルンプール駐在員事務所の設置のほか、外国企業への規制緩和が行われたオーストラリアに進出するための支店登録、中国開放政策に対応する上海、北京、香港各駐在員事務所設置による中国大陸への展開、EC統合へ向けて日本企業の進出が活発となったヨーロッパ地域への展開を図るアムステルダム駐在員事務所の設置など、前10年に引き続いて当社は事業拠点をさらに拡大していった。

■―米国の拠点を拡充

<サンフランシスコ営業所>

前章に述べたように米国本土での公共工事市場への参入以来、営業地域を各地に拡大した当社は、昭和58年(1983)10月にその中心となっていたサンフランシスコ駐在員事務所を、国内支店に準じた総務、営業、見積、土木、機械の5課を置く営業所に昇格、米国全域にわたる土木工事を担当させることとした。

また、サンフランシスコを中心に米国企業や政府発注の工事に対応するため大林アメリカの子会社として54年に設立されたロバーツ大林は、順調に実績を積み重ねてきた。

こうして59年以降、カリフォルニア州に続いてアリゾナ州、ミネソタ州、オレゴン州、ワイオミング州、ルイジアナ州、テキサス州、ワシントン州へと、全米各地にその足跡をしるすことになった。

<米国西部営業所・米国東部営業所>

一方、ニューヨーク駐在員事務所は、エバートラストビルを59年3月に受注したほか、ニューヨークを中心に日系企業の内装工事を手がけていた。当社は本格的に建設請負業を同地域で展開するため、59年4月に社長以下マネジメントはすべて米国人で運営する方針のもとに、シタデル社をノースカロライナ州ラーレイ市に設立し、主たる事務所をジョージア州アトランタ市に設置した。

従来、建築工事および不動産開発事業については上記2社および当社の現地法人の大林アメリカ、さらには当社も直轄工事として米国各地で施工を行ってきた。しかし、米国における日系企業の設備投資による建築工事の増加に対処するため、また不動産開発事業の一層の進展を図るため、当社としてはこれらの事業を統括し、一貫した業務を行う出先機関が必要となってきた。このことから、60年1月、新たに二つの営業所「米国東部営業所」(ニューヨーク市)と「米国西部営業所」(ロサンゼルス市)を設けた。

両営業所はそれぞれ、①建築工事に係る市場の調査、受注から施工までの一連の業務、②開発事業、③不動産事業、④その他米国における投資に関する調査業務を担当することとなった。

両営業所の所管地域は次表のとおりである。

なお、両営業所の設置に伴ってニューヨーク駐在員事務所およびロサンゼルス駐在員事務所は廃止された。

<ハワイ>

ハワイにおいては、56年10月から開発事業第3弾として、マウイ島カアナパリ地区(ヒルサイド)で5エーカーの宅地開発・分譲事業が開始され、第1期24区画が58年9月に完売、同年11月から工事に着手した第2期135区画についても、平成2年初めに販売が終了した。

またカアナパリ地区(マスターズ)では、61年7月から開発事業第4弾として、38エーカーの敷地に216戸の木造2階建タウンハウスを建設・分譲する事業が開始された。

シェラトン・カウアイホテル事業については、57年11月のハリケーンで津波による大被害を受け、海側部分は一時営業中断を余儀なくされていたが、58年8月から60年3月にかけて再建工事が完了した。

サンフランシスコ営業所のスタッフ
サンフランシスコ営業所のスタッフ
エンケイ・アルミニウムホイール工場(インディアナ州コロンバス市)地鎮祭終了後のシタデル社と当社の関係者(昭和61年4月)
エンケイ・アルミニウムホイール工場(インディアナ州コロンバス市)地鎮祭終了後のシタデル社と当社の関係者(昭和61年4月)
カアナパリ地区(マスターズ)
カアナパリ地区(マスターズ)

■―充実する東南アジアの営業網

東南アジア地区における営業拠点としては、二つの現地法人がこの時期に新たに生まれている。昭和57年(1982)12月の大林マレーシアの設立と58年12月のブルネイのPM大林(ブルネイ)SDN.BHD.の設立である。従来から進出していたその他の国々におけるこの時期の活動は以下のとおりである。

<タイ>

タイ国における直轄工事は、51~55年に実施したバンコック首都水道局発注の送水トンネル4AR工区、5AR工区に続き、56年に5B工区を受注、58年にみごとな出来映えで完成させ、当社のトンネル技術の優秀さを同国で示すものとなった。

また、60年にはタイ高速道路局発注のバンコック高速道路第1期(ダオカノン~ポート)工事を受注し、同国国王の60歳の生誕記念日に合わせて竣工させ、同国のインフラ整備の一翼を担うことになった。

一方、60年代前半より最重点目標とされているグラント工事についても、57年の中央造林研究所および同訓練センターに続いて、60年にタイ社会教育文化センター、63年にはバンナラ灌漑水門の受注に成功した。

タイ大林については、設立以来、進出日系企業の工場建設を中心に着実な発展を続け、バンコック銀行本店ビル(52年3月~57年2月)という大工事もみごとに完成、現地での一流企業としての地歩を築き上げてきた。以後、同社の受注、施工した工事は枚挙にいとまがない。

<インドネシア>

インドネシア政府の現地化政策に従い、47年1月に現地資本との合弁で設立されて以来、ジャヤ大林はヤマハ、ダイハツ、トヨタ、三菱、鈴木等の自動車産業や東レ、帝人、クラレ、旭化成等の繊維産業、あるいは武田薬品、大塚製薬、東陶、旭硝子等の薬品・化学産業など、インドネシアに工場進出した日本の重要得意先の工場建設に協力しながら、同国では第1位の日系建設会社としての地歩を築いた。

しかし、石油価格の世界的低落の影響をもろに受けて同国経済が最も停滞した60年から62年にかけて、ジャヤ大林も一時的に減量経営の厳しい時期を体験することになったが、関係者の経営努力と景気の回復にも助けられ、平成元年度ころより繁忙期を迎えるに至った。ASEAN諸国のなかで労働力の豊かさで評価が高いインドネシアでのこの傾向は、平成2年より手がけ始めたゴルフ場、工業団地等の開発事業への進出も含めて、当面強まっていくものと予想される。

<シンガポール>

40年にシンガポール東部海岸埋立第1・第2期工事の受注により同国への橋頭堡を築いて以来、当地で当社は終始直営方式による営業活動を展開し、同国の国土建設、インフラ整備に貢献してきた。

東部海岸埋立工事については、60年に完成した第6・第7期工事に至るまで、20年の長期にわたって大量土工工事を継続し、同国国土面積の約1.6%に当たる1,039万㎡の埋立工事を完成させることになった。そのほか、地下鉄(MRT)工事や建設当時同国最高ののっぽビルであるトレジャリービルディングなど、50年代後半は土木、建築とも受注量はピークを迎えていった。

なお、現地組織の面では63年10月にそれまでの駐在員事務所を営業所に昇格することになり、58年6月に設置された土木、建築工事の両総合工事事務所を統合した。

ブルネイ回教寺院 <ブルネイ・サンクロン地区>1985年6月竣工 発注 ブルネイ公共事業省、P.M.コンストラクション・アンド・トレーディング・リミテッド 設計 アーキテクト ペリカタン
ブルネイ回教寺院 <ブルネイ・サンクロン地区>1985年6月竣工 発注 ブルネイ公共事業省、P.M.コンストラクション・アンド・トレーディング・リミテッド 設計 アーキテクト ペリカタン
中央造林研究所 <タイ・バンコック市>1984年2月竣工 発注 タイ王室林野局 設計 日建設計
中央造林研究所 <タイ・バンコック市>1984年2月竣工 発注 タイ王室林野局 設計 日建設計

■―ヨーロッパに進出

昭和60年(1985)8月、オランダにアムステルダム駐在員事務所を設置し、同年11月、同国に本社を置く当社全額出資の大林ヨーロッパB.V.が設立された。61年10月にはアムステルダム駐在員事務所のパリ分室および大林ヨーロッパのパリ支店が開設され、さらに62年2月には大林ヨーロッパのロンドン支店も開設、EC統合に向けて進出が活発化してきた日系企業への対応策が着々と進められた。

また開発事業についても、63年にロンドンに大林ヨーロッパ全額出資の大林プロパティズ(UK)を設立、総事業費650億円のブラッケンハウスの再開発事業に着手することになった。

アムステルダム駐在員事務所が入居する建物
アムステルダム駐在員事務所が入居する建物
パリオフィス(アムステルダム駐在員事務所のパリ分室と大林ヨーロッパのパリ支店)が入居する建物
パリオフィス(アムステルダム駐在員事務所のパリ分室と大林ヨーロッパのパリ支店)が入居する建物

■―その他の地域への進出

オーストラリアへの進出は、昭和60年(1985)の支店登録と同時に受注したブロークンヒルズプロパティ社のニューキャッスル連続鋳造工場建設工事(土木)が初めてであったが、その後、62年、63年と2件の超高層ビルの建設工事をヘッドコントラクターとして受注した。

中国へは、55年、上海宝山製鉄所の資機材調達が戦後同国での当社の初受注となったが、59年3月には、初工事である上海虹橋国際空港ターミナルビル増改築工事を受注した。60年代に入ると北京と上海でそれぞれ大規模な設計監理業務を3件受託したが、天安門事件をきっかけに中国本土での工事は一時凍結状態となった。

これに対しNIESの一角である台湾では、61年に中國石油LNG地下式貯槽に続いて台北市の地下鉄工事など大型土木工事を次々と受注していった。

そのほか、この時期、10年ぶりのバングラデシュ、それまで実績のなかったビルマ(現・ミャンマー)やフィリピンでもグラント工事を次々と受注し、当社は東南アジアでの活動地域をさらに広げていった。

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