新たなエネルギーを求めて
相次ぐLNG基地の建設
わが国におけるLNG(液化天然ガス)の本格導入は、東京ガスと東京電力が昭和44年(1969)11月から開始したのに始まる。
LNGは石油危機後に石油代替エネルギーとしてとくに注目されるに至ったが、その供給量は50年度には506万tであったものが53年度には1,172万tと倍増し、59年度には2,676万tとじつに50年度の約5倍に増加した。LNGと同様に50年以降急速に増加したものに原子力があり、50年度に251億㎾hだったものが59年度には1,343億㎾hとこちらも約5倍の供給量の増加であった。これらを50年度と59年度のエネルギー供給構成比率でみると、LNGは2.5%から9.2%に、原子力は1.5%から7.5%に上昇している。これに対し水力、石油は下降傾向をたどり、石炭は微増にとどまった。
当社が最初に行ったLNG基地建設工事は、46年3月、大阪ガス泉北工場(現・泉北製造所第一工場)に完成した地上式タンク3基の基礎工事であった。それから20年、数多くの地上式、地下式タンクを設計・施工で受注し、国内において地上式タンク91基のうち48基(PC外槽式LNGタンク{注1}を含む)、地下式タンク54基のうち8基(ピットイン式{注2}を含む)のシェアを占め、海外においても台湾で地下式タンクを3基建設するなど、LNG基地建設の分野において指導的な地位を確立した(右図参照)。また、多くの実績をもとに技術開発を積極的に行い、新しい型式のPC外槽式LNGタンクおよびピットイン式地下タンクの開発、実用化にも成功した。
なお、LNGタンクの建設技術については本文450ページに記述している。当社初のLPG(液化石油ガス)基地である岩谷産業堺LPGターミナルも54年3月完成した。
注1 PC外槽式LNGタンク:従来のLNG地上式タンク(金属二重殻タンク)にプレストレストコンクリート製防液堤を限りなく近づけて一体化した新しい型式のタンク。
注2 ピットイン式地下タンク:従来のLNG地上式タンクを、防液堤とともに、最高液面が地表面以下になるように地盤に埋設した新しい型式のタンク。基礎および側壁・タンク間の空間部を利用した空気層の断熱により、地盤凍結防止管理を行う。
大阪ガス泉北製造所第一工場・第二工場
大阪ガスでは時代の要求に応えて新しいエネルギー、LNGの導入を決定し、LNG受入れ基地の建設、転換のための切替え作業を開始した。当社は昭和43年(1968)からこの計画に協力し、土木本部設計部、技術研究所など全社を挙げてLNG貯蔵施設の建設に必要な設計・施工技術の研究開発に取り組むことになった。
-164℃という未経験の極低温液化ガスを貯蔵する構造物を建設するにあたっては、コンクリートや鉄筋などの使用材料の低温特性、冷熱による地盤の凍結や温度応力など、それまでの一般構造物では考慮されることのなかった問題を明らかにする必要があった。これら技術課題を一つ一つ解決し、設計・施工法の十分な検討を行って、泉北第一工場のLNG地上式タンクは、地盤が凍結しタンクが浮き上がるのを防ぐために高床式の基礎を採用し、また、タンクからの万一の漏液に備える防液堤は3重壁構造とした。着工は45年3月である。こうして地上式タンク(4.5万㎘)3基が47年3月完成し、47年12月には第1船がブルネイより入港し、近畿におけるLNG時代がスタートした。
続いて第4号タンクの建設を開始することとなった。このタンクは前3基と異なり地下式であった。そこで、建設地と同様の土質構成をもつ堺の埋立地の一角に大阪ガスと共同で実験用タンク(70㎘)を設け実験を行ったが、この当時、計測に使用する低温用計測器もなく、当社技術研究所を中心として開発を進めながら実験にあたった。
こうして設計・施工法を確立し、47年11月より、新たにソレタンシュ社から導入したケリー60M掘削機で地下54mへの掘削を開始し、1万㎡に及ぶOWS工法による地中連続壁は精度、各パネルの剛結、超音波測定器による異物の判別を含む各種の新技術を生み出し、50年8月に地下式タンク(4.5万㎘)は完成した。
その後49年9月、泉北第二工場の建設が本格的に開始され、当社は6基のLNG地上式タンク(1基7.5万㎘)の基礎工事をはじめとしてLNG受入れ基地の主要設備を受注、第1期工事が52年6月をもって竣工した。45年3月から52年6月までの請負金は泉北第一工場、第二工場合わせて189億6,000万円、所長は大村満男(土木工事)と今川邦夫(建築工事)であった。その後現在までに泉北第二工場で当社はさらに6基のLNG地上式タンク基礎を施工し、1基を平成4年9月現在建設中である。
泉北第二工場/7万5,000㎘LNG地上式タンク6基、気化用放水設備一式、LNG受入れ棧橋(13万5,000t用)一式、LPG受入れ棧橋(5,000t用)一式、事務棟、管理棟、PRセンターなど
東京電力東扇島LNG基地第3、6、9号地下式貯槽(第9号のみJV)
東京電力の東扇島LNGセンターは27㏊の広大な敷地に9基(1基6万㎘)の地下式タンクがあり、当社はそのうちの第3号、第6号および第9号(JV)を施工した。
第1弾として昭和55年(1980)6月に第1、第2、第3号を3社が各々ほぼ同時に着手し、6カ月遅れて第4、第5、第6号を同3社で着工、文字どおり3社競演の工事開始となった。地震時における地盤の液状化防止工事であるサンドコンパクションパイルによる地盤改良から工事は始まったが、当社は最大15機に及ぶ打設機を投入してこれにあたった。
地中連続壁工事では、最深GL-86.5mまで掘削するため、ハイドロフレーズ掘削機を当現場用に新たに2台製作し、在来のケリー機と併用した。このハイドロフレーズ掘削機は予想以上の高精度(垂直精度1/2,000)を発揮し、止水性の高い連壁を構築した。続いて掘削、側壁工事を6ロットに分けて逆巻き工法で行ったが、コンクリート打設量はタンク1基当たりで連壁を除いて約1万8,000㎥に及んだ。その施工では、鉄筋のプレハブ化や、新たに開発した鉄筋取付機による現場組立作業、さらに足場付大型鋼製パネルによるスライディング方式の型枠工など機械化、省力化した施工システムを採用した。続いてタンクの底版に約3,000tの鉄筋を使用し、厚さ7mのマスコンクリートを打設した。これら一連の工程では、連壁、側壁、底版および周辺地盤の変形、内部応力、作用外力等についてコンピュータを駆使した大規模な計測管理を行い、オンライン処理により随時工事の安全性や品質を定量的に把握し、計測結果をリアルタイムで次段階の施工に反映させる情報化施工法をとった。
また、当工事では、土木構築物の施工に加えて、LNG地下式タンク供用後の冷熱による周辺地盤の凍結を防止するため、タンク底部および側壁外周部に設置されるヒーター設備工事も行い、その計画、設計、施工および運転管理計画のいっさいを担当した。
こうして、第3号、第6号タンクとも予定の26カ月で完成し、その後16カ月のタンク内装等の設備工事へ引き渡し、59年9月、2基の工事が完了した。引き続き第9号タンクも三井建設とのJV(当社が幹事会社)で施工し、62年9月完成した。タンクは3基とも内径50.3m、深さ30.7mで、1基当たりの本体掘削は約10万㎥であった。請負金は第3号、第6号合わせて147億5,086万円、所長は大井賢太郎である。また、第9号は請負金47億6,165万円、所長は加藤譲嗣から丹羽正俊に引き継がれた。
東京ガス袖ケ浦工場C-3LNG地下式貯槽
東京ガス袖ケ浦工場にはすでに11基のLNG地下式タンクが建設されていたが、この時期、3基の地下式タンクを建設することとなり、当社はそのうちC-3タンクを昭和55年(1980)6月着工した。当タンクは同社から受注した初のLNG地下式タンクで、容量13万㎘、内径64.5m、深さ40.4mであり、これは当時世界最大のものであった。
当タンク建設は日本鋼管が一括受注し、うち土木工事を当社が設計から施工まで一貫して担当し、とくに設計および技術開発では社内にLNG地下タンクプロジェクト・チームを組織してあたった。
地盤改良後の地中連続壁工事では、連壁の深さが98mと当時日本最深のものであったため、着工前に性能確認試験工事を実施し、止水性、強度、精度などの確認およびハイドロフレーズ掘削機の性能、能率、運転法などの調査・検討やそれに基づくカッター、ポンプ、精度制御機構の改良を行い、本工事に生かした。連壁工事完了後の掘削、側壁工事では逆巻き工法を採用し、約17万㎥の掘削土量を8サイクル(各6m)で掘削しては側壁(厚さ3m)を構築した。こうして最下底に到達後、約3,300tの鉄筋と2万4,200㎥のコンクリートを使用して厚さ7mの底版打設を行った。
施工の機械化、省力化のために導入した数々の改良機やコンピュータを駆使した情報化施工法は、東京電力東扇島LNG地下式タンクと同様であったが、側壁、底版完成後、当タンクでは大規模な復水試験を行ったのが大きな特徴であった。この復水試験はディープウェルにより低下させていた地下水を復水させ、底版に設計揚圧力を作用させ、底版の耐力機構について検証することを目的としたもので、地下50mまでの側壁、底版に50t/㎡の水圧をかけ、タンクの挙動、耐力および止水性などを確認した。このような大型構造物の実物試験は日本では大変珍しい事例であり、地下式タンクの設計・施工に資する貴重なデータを残した。主たる土木工事は57年10月完了し、屋根工事、機械・内装工事、各種試験・検査を日本鋼管が行い、59年4月全工事は完成した。請負金は75億7,338万円、所長は増田知行である。
中國石油LNG地下式貯槽
LNGの備蓄基地を建設することになった台湾は、その設計・施工技術を国外に求め、国際入札に付した。このプロジェクトでは、単なる工事施工ではなく、施設の機能保証を前提とした責任設計・施工が求められ、価格面での審査とあわせて、日本鋼管と当社のグループの実績と技術力が評価されて受注に成功した。
建設現場は台湾の南端、台湾第一の工業都市である高雄市の北方約30㎞の海岸埋立地で、埋立て直後の超軟弱地盤に、内径約65m、深さ約35m、容量10万㎘のLNG地下式タンクを3基同時に施工するという難工事であった。
工事は1986年(昭和61)1月にスタートし、地盤改良工事(サンドコンパクションパイル)、地中連続壁工事(OWS工法)の後、掘削と側壁構築(厚さ2.7m)を交互に繰り返す逆巻き工法で土留めの安定を保ちながら床付けを行い、底版(厚さ7.4m)を施工し、最後に側壁頂部のPC工事をもって土木工事は完了した。
当社は戦前に台湾で銀行などの建築工事やダム、発電所などを施工したが、当工事は事実上約45年ぶりの当地での請負工事であり、当工事を通じたハードの技術移転はもとより、現場の管理手法など現地建設業にもたらしたインパクトも少なくなかった。たとえば、台湾は毎年10回以上の猛烈な台風が接近または上陸し、ときには防波堤をも打ち砕かんほどの荒波が20m以上の高さに及び、1晩でタンク内外が一面海のように冠水する豪雨にも見舞われたが、こうした事態に対しても事前の計画的な対応措置に加えて、不測の事態には当社職員の陣頭指揮で防護復旧作業を行い、その被害を最小限に食い止めた。こうして全工期労働延時間約230万時間を通じ無災害の輝かしい記録を樹立し、台湾における土木工事現場の安全管理にも一石を投じた。
タンクの完成は1989年3月であり、請負金は72億4,686万円、所長は大井賢太郎であった。なお、当工事におけるノウハウは、その後の台北地下鉄の受注へと生かされていった。