■―全社業務を東京本社に移管
昭和45年(1970)12月、東京支店を廃止して東京本社を設置するにあたり、業務の中枢部分はほとんど東京に移されたが、全社的な財務・経理に関する業務は本店経理部の担当として残された。
その後、政治・経済情勢の変化に伴い、会社の意思決定の迅速化、各部門の業務処理の円滑化を図るため、財務・経理に関する全社業務も東京本社に移すことが必要となった。そこで55年2月、本店経理部からそれらの業務を東京本社に移管することとし、その際、東京本社経理部を財務部(財務第一課~第三課、出納課、海外財務課)と経理部(経理第一課・第二課、計算第一課・第二課)の2部に分割して、関係業務の拡大と多様化に備えた。
なお、海外財務課は国際金融取扱いの主体が集中する東京において外為業務、為替リスクの管理等を担当するため、49年11月、東京本社経理部に設置されていたが、財務部新設の際にその組織下に置かれた。当社の海外進出の伸展に伴って外貨の調達や運用、あるいは対外取引は頻繁となっていたが、55年2月の機構改正により海外財務課の業務処理は本店経理部を経由する必要がなくなり、地理的、時間的に大幅に短縮され、同時に業務に関連する情報管理が容易になって、効率は大きく向上した。また、55年12月、わが国の「外国為替及び外国貿易管理法」(いわゆる「外為法」)が全面的に改正されたことにより、対外取引とそれに件う資金管理の幅が拡大した。
55年3月には監査室も東京に移転し、本店には監査室大阪分室を設置(58年6月廃止)した。
第1次石油危機後の安定成長への移行に伴って、企業金融は間接金融から直接金融へと比重を高めるとともに、為替および金利の自由化が進められた結果、資金の調達および運用の両面で多様化に拍車がかかった。これらの動きは別の視点からみると、銀行一辺倒から証券会社の役割を再認識する動きともいえ、当社においても証券会社を通じ、証券および起債市場の動向にも注視する必要が生じてきた。
この後、当社は初の転換社債の発行を目論むほか、商法改正に伴う企業内容の開示の拡大に対処していくことになったが、この時期、東京本社に総本社業務を統合し、財務・経理部門の強化・拡充を図ったことは、時宜を得た措置であった。