大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

5 新世紀に向けて長期経営ビジョンを策定

■―大林ルネッサンス111

昭和の末ごろから平成へかけて、世界情勢は急速に大きく変わり、わが国は一応の経済的豊かさを達成したが、ライフスタイルや価値観の多様化、高齢化、情報化、ソフト化、国際化など社会的な変化が著しくなってきた。外国からは日本人の働きすぎを批判する声が高まり、これまでのあり方を考え直す契機ともなった。企業運営においても、社員の個性・創造性の重視とともに、これまでの経済効率一辺倒から、社会への貢献活動、地球環境への配慮などがより強く求められるようになった。

当社がこれらの変化に対応し、21世紀へ向けての建設業のリーディングカンパニーの地位を確固たるものとするためには、変動の方向を見きわめ、長期的視点から、経営を新しい時代にふさわしいものに革新していかなければならない。

こうした観点から当社では、創業第2世紀を迎えるにあたって、平成2年(1990)に発表した経営理念に沿い、これからの10年間を見すえた経営の基本方向を示すものとして、3年4月、長期経営ビジョンを策定した。長期経営ビジョンは、第1に役職員の共通意識を醸成し、ベクトルの合った企業活動を通じて、個人の活力を引き出し、組織の活性化を推し進めて総合力を高めること、第2に重要経営課題に対し、集中的かつ戦略的展開を図りつつ強固な経営基盤の形成に努めることを目的としている。

そして、このビジョンを実現するため、計画期間3年のアクションプランとして「中期経営計画」(後述)も同時に策定したのである。

当社は長期経営ビジョンを「大林ルネッサンス111」と名付け、「これは、創業第2世紀を迎える私達の21世紀へつなげる、新しい“人間尊重企業”宣言である」と内外に発表した。また、「大林ルネッサンス111」の意味を次のように説明した。

「この言葉は、単に創業時の活力を蘇らせようという意味だけではない。視点は過去にあるのではなく、現在をスタートラインに、新しい時代のために前向きで具体的なビジョンを提唱するものである。

社員一人ひとりが自己変革を図り、ひいては企業全体が時代に即応してフレキシブルかつ強靭なパワーを持つ集団となること。個人の自己実現を通し、新しい社会にふさわしい大林グルーブのアイデンティティを確立していくこと……。人間一人ひとりの個性や創造性をビジネスに活かしていこうという意味から“大林ルネッサンス”と名付けた。

また、“111”は当ビジョンが創業111年目に向けて実現を目指していることを表しているが、顧客にとって№1の会社、社員にとって№1の会社、社会に対し№1の会社でありたいという願いをも込めている。」

続いてこのビジョンは、90年代の事業環境、10年後の企業像、全社的経営基本方針、事業別目標・基本戦略、経営基盤に関する基本方針について、それぞれ具体的に示している。

当社の目指す10年後の企業像については「空間に新たな価値を創造し、社会と感動を共有する人間尊重企業」であると述べ、その実現に向けて、

  • 顧客に真の満足を提供する
  • 社員の幸せを追求し、仕事を通じて自己実現できる場を提供する
  • 世界から求められる知的集団・技術集団から成る企業グループを目指す
  • 建設文化の担い手として情報発信を活発に行い、クリエイティブな提案を行う
  • 品格ある企業として、社会および株主に対する責任を果たすとともに、社会貢献にも真剣に取り組む
  • 常に競争優位を意識し、企業革新に努める

を目標に掲げ、2001年に向け、建設業のリーディングカンパニーとして新たなビジネスを展開していくこととした。

具体的経営方針については、次の3点を強調している。

  • まず事業領域を建設事業を柱にその川上から川下まで幅広くとらえ、拡大と高度化を図り、不動産開発事業を次に位置づけ、さらに建設事業とその周辺において新規事業を手がけ、全体として付加価値の高いサービスを創出していく。
  • また創造性にすぐれた提案型企業を志向し、顧客に100%以上の満足を与える高付加価値化の事業展開を図るとともに、企業体質の絶えざる革新を行い、顧客ニーズの先取りとクイックレスポンスのできる企業、知識集約型企業を目指す。
  • さらに人、資金などの経営資源の拡充と重点配分を進める。

このように、「大林ルネッサンス111」は高い理念を掲げるとともに、これに到達するための道筋を明らかにしており、当社のこれからの経営はこの線に沿って進められることになった。

「大林ルネッサンス111」発表会
「大林ルネッサンス111」発表会
パンフレット「大林ルネッサンス111」
パンフレット「大林ルネッサンス111」

■―中期経営計画

「大林ルネッサンス111」とともに、平成3年(1991)4月1日~6年3月31日の3カ年を期間とする中期経営計画が策定された。その概要は以下のとおりで、長期ビジョン実現へ向けてのアクションプランを示したものである。それは大きく、①総合営業力の発揮、②情報化の徹底、③社員のゆとり・創造性の創出、④社会貢献への取組みの四つに分けられる。

総合営業力の発揮については、土木・建築の一体化を含めた総合営業力の強化を図り、事務・土木・建築等の専門職種を統合した人事管理制度への移行を志向すると同時に、ジョブローテーション制度の充実や、活発な人事交流により総合力を高めていく。また、プロジェクト・マネージャー制やマトリックス組織の導入、専門分野の人材や外国人技術者の採用も積極的に行うこととした。

情報化の徹底については、建設マーケットの変化を先取りするため情報調査機能を強化し、顧客への情報サービスなど、情報発信が活発に行える戦略的なシステムを構築する。個人間、部門間、大林グループ間の情報通信ネットワークを拡充し、営業・技術情報の資源化・共有化・複合化を図る等をあげている。

社員のゆとり・創造性の創出については、個人の能力を最大限に発揮し、仕事を通じて自己実現が可能なように次のような人事諸施策や、生涯を視野に入れた福利厚生を進めることとした。

総労働時間の短縮、フレックスタイム制の拡大、社内リクルート制の導入、女性・外国人の役職への任用、新本社ビル建設など快適な執務環境の提供、社員の余暇充実のための満足度の高い厚生施設の提供、心の健康管理の充実、遺児育英年金の新設、海外現地社員の永年勤続表彰の制度化等

社会貢献としては、文化支援、ボランティア活動や環境保護などを通じて企業利益を地域と社会に還元し、人間性を尊重する企業として社会から共感を得られる企業市民となるため、こうしたフィランソロピーを実践していく。また、地球環境問題への積極的な取組みや、海外における建設技術の研究活動を通じて、世界への貢献に努めるなどである。

■―強力な協力会社群の形成を目指して

建設業にとって、顧客のニーズに十分応えられる施工体制の確立が不可欠であることはいうまでもない。建設工事においては、元請負業者(ゼネコン)はいくつもの専門工事を担当する協力会社と下請負契約を結び、これらの業者を統合しつつ工事を進めていくが、建設現場では、個々の工事に従事する協力会社の能力の優劣が、品質や生産性に大いに影響してくる。こうしたことから、先の長期ビジョンでも「業界に誇る強力な協力会社群の形成」を重要項目の一つにあげている。

当社と協力会社とのかかわりを振り返ってみると、明治の末期、当社は大工、鳶、土工の三役に下請名義人制をとり、かつ専属とし、下請負制度を確立した。信頼に足る者を名義人として、これらに限って工事を下請けさせる一方、施工に対する責任も彼らにもたせたのである。また、常時取引する協力会社の連絡親睦機関として「大林組林友会」が設立されたのは、明治41年であった。当社と協力会社とは車の両輪にもたとえられ、互いに協調関係を保ちながら、ともに発展してきたのである。

時代は下って、戦後の高度経済成長期ころから、技能労働者の不足が顕著となり、当社は技能工養成を図って大阪に職業訓練校を設立(昭和43年)し、資金的・人的支援を行うなどの施策を講じた。訓練校はその後の諸情勢の変化により閉校のやむなきに至ったが、協力会社のメンバーにその意志が引き継がれ、昭和54年(1979)4月、まず東京に山岡建設工業(株)高等職業訓練校が、翌年4月には、大阪に大林組本店協力会社協同組合大阪高等職業訓練校が新発足した。長年、技能労働者の減少が建設業の課題とされてきたなかで、両校は現在も大きな役割を果たしている。

50年代後半に入ると、エレクトロニクスを中心とする技術革新が急速に進み、建設技術にも大きな進展がみられた。同時に、施工物に対する品質保証の認識も高まり、協力会社に対しても、品質保証業務や施工技術に関する研修会を実施し、その自主管理能力のレベルアップを支援していった。

建設ブームにわいた昭和末期から平成2年末ころまで、当社も協力会社も施工に追われ人手不足に悩まされた。しかし、業績の伸長とは裏腹に、将来の建設業を支える有能な若い労働力の確保・養成は思うにまかせず、いまなお建設業界全体の問題ともなっている。当社が21世紀においてリーディングカンパニーとしてあり続けるために、「業界に誇る強力な協力会社群の形成」を目指すこととしたのも当然の帰結であった。

このため当社は、協力会社がそれぞれ自助努力によって企業体質の強化を図り、技術の改善・習得、技能者の養成等に努めていくことに対して積極的な支援を行うこと、さらに、優良な新規協力会社の導入や、新生産システムに対応する技能集団(多能工)の育成を図ること等の施策を推進することとしたのである。

また、平成3年5月、労働省の「建設雇用近代化モデル事業」の推進元請として鹿島建設とともに業界初の指定を受け、大林組協力会社グループの雇用近代化推進事業を着々と具体化している。

■―海外での新たな動き

建設業のグローバル化が進むなか、当社の海外事業にも新たな展開がみられた。東欧諸国の民主化、東西ドイツの統合を背景に、今後これらの諸国に対する建設投資・開発投資の動向を探り、事業展開する場合の拠点とするため、平成2年(1990)7月、ベルリン駐在員事務所を開設、翌3年8月には、現地法人の大林プロジェクト・バウ社を設立した。

また、オーストラリアでは、シドニー、ブリスベーン、ケアンズに工事事務所を設置して建築工事を施工していたが、引き続いて工事の発注が見込まれることや開発案件も多いことから、営業強化のため、2年8月、オーストラリアおよびニュージーランドを管轄するシドニー駐在員事務所を開設した。

一方、米国では、シタデル社、E.W.ハウエル社等の東部地区の現地法人の経営母体を一本化する目的で、2年4月、持株会社の大林U.S.ホールディングス社を設立したほか、西部地区では、新規の開発事業に着手するため、3年12月、OCホープストリート社およびOCサザンカリフォルニアプロパティーズ社の2社をロサンゼルスに設立した。

アジア地区では、ASEAN諸国や台湾などの経済成長に伴い、各地で大型工事を相次いで受注する一方、現地法人の経営基盤の強化も一段と進み、依然として当社の海外事業における貢献地域となっている。タイ、インドネシアにおいては、ODA関連工事や国際入札工事のほか、地元有力企業・日系企業等との共同出資による開発事業も現れ始め、当社がプロジェクトマネージメントを発揮する機会が出てきたのも時流といえよう。

このように、当社の海外事業の展開は、地域的には進出初期の東南アジアから、ハワイ、中南米、中東、米国本土、中国、台湾、ヨーロッパ、大洋州へと拡大した。事業の内容も賠償工事から始まり、日系企業の工場・オフィスビル、ダム・トンネル・道路・埋立造成等の公共工事、さらに宅地開発事業、ゴルフ場建設、都市開発事業等にと業域を広げ、世界的規模のゼネラルコントラクターとして名声を得るに至っている。3年12月末現在、当社グループの海外従事者は1,500名余にのぼっている。

ベルリン駐在員事務所が入居するビル
ベルリン駐在員事務所が入居するビル
シドニー駐在員事務所発足時のスタッフ
シドニー駐在員事務所発足時のスタッフ
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