大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

3 長期経営計画を策定

■―長期経営計画の変遷

当社における長期経営計画は、昭和39年(1964)5月に経営計画規程が定められ、経営計画委員会が設置されて、きたるべき5年間を展望した長期計画(経営5カ年計画)、その枠内における半期ごとの短期計画を策定したのが最初である。

39年の長期経営計画は、経営管理の職能のなかで「計画」が最も重要なことであるとの認識のもとに、未来をどのようにもっていくかについて、問題点の把握、計画達成のための諸方策を打ち出したものである。その後、情勢の変化に対応して計画と実体のズレを防ぐため、毎年修正を加えてきた。常に5年先の長期的な展望のもとに短期計画を策定し、その計画を通じて長期計画の目的達成に努めてきたのである。

45年度は第7回目の長期計画策定の年に当たっていた。しかし、42年に政府が策定した「経済社会発展計画」が、その後の経済発展により計画を大きく上回ったため45年度に改訂されることとなったことや、民間機関の見通しの不一致などから、当社の45年度における計画策定は取りやめることとし、前年度の修正にとどめた。

第1回の長期計画を策定してから7カ年の間に、当社の業績は飛躍的な発展を遂げた。39年度と45年度を比較してみると、受注高1,294億円が3,287億円と約2.5倍、完成工事高は1,155億円が2,657億円と約2.3倍、経常利益額は60億円が167億円と約2.8倍へと大きく躍進している。

長期計画を立てて目標を決め、その達成方策が示され、常に新しい施策に取り組んできたことが、業績の伸展に大きく寄与したといえる。また、計画実施部門の個別計画は、絶えず情勢の変化に対応した弾力的な運営により、体質改善に役立つところが少なくなかった。

昭和39~45年度の業績の伸びを示すグラフ
昭和39~45年度の業績の伸びを示すグラフ

■―新長期経営計画と環境の変化

新しい長期経営計画は、昭和46年度(1971年度)から50年度に至るものとして策定された。これによれば、東京本社設置に伴う新機構を新たな出発点として一段と積極的な経営を展開し、業績の飛躍的な伸長を図り、大手5社のうち上位の位置を確立することとし、50年度の受注高目標を土木2,000億円、建築4,800億円、海外300億円としてスタートした。

ところが46年8月、ニクソン米大統領のドル防衛策が発表され、いわゆるドル・ショックが突発して国際通貨体制が動揺し、為替はやがて変動相場制に移行していった。このとき受注環境はますます厳しくなるものと思われたが、活発な公共投資に支えられ、受注も順調に伸び、47年はさらに上昇過程をたどり、高水準で推移した。

一方、47年6月には第1回国連人間環境会議がストックホルムで開催され、地球環境への関心が高まった。これまで経済成長の追求一方で、これによって環境破壊や国際的摩擦を発生させていることに対し反省が加えられ、国民生活の質的向上や環境改善、国際社会との協調といった新しい理念が唱えられるようになった。そして、民間設備投資主導、輸出優先の経済基調から、福祉重視、公共投資主導型への転換、産業構造の知識集約型への移行が図られた。

このような内外の変化に伴い、47年度に長期計画の修正を行った。その内容は、環境変化に対応する組織、長期的な視野に基づく人材の確保・育成、人および資金の配分など、経済、社会の転換期に対処して実行すべき方策を重点的に推し進め、現行計画を補完するという立場から、質的な面を重視したものであった。

その後、過剰流動性によるインフレの到来、土地投機の過熱現象、さらに第1次石油危機などの経済異変が相次ぎ、それに対応する政策の発動によって経済環境が大きく様変わりしたことは、次章に述べるとおりである。これによって、当社の経営もにわかに悪化して経営危機を迎え、当初の長期計画による見通しは大きく齟齬を生ずることになり、前記した50年度の受注高目標の計7,100億円を突破するのは56年度であった。

新たに策定された長期経営計画
新たに策定された長期経営計画

■―昭和46~48年度の業績

“激動の”と形容される1970年代になり、第1次石油危機の影響を大きく受けた昭和49年度(1974年度)以前の46~48年度の経営実績をみると、概括していえば受注高、売上高とも前年度を上回る伸びを示したが、経常利益、当期利益はダウンもしくは横ばいの状況が続いた。

その主たる原因は、インフレや労務者不足による工事原価の上昇に伴う工事採算の低下、借入金増と金利上昇による営業外収支の悪化などが大きく作用したためであり、売上高が増加した一方で、利益は伸びなかった。

工事採算をみると、工事利益率は46年9月期の11.2%から漸減し、年度ベースでは46年度10%台、47年度9%台、48年度8%台と漸減傾向が明らかであった。このため、この間、完成工事高は2,745億円強から3,885億円強へと42%も増加したにもかかわらず、完成工事利益は11%増にとどまった。

営業外収支の経過をみるため、長短借入金などの有利子借入金の増加を取り上げると、46年9月期の1,021億円強が49年3月期には2,213億円弱と2倍以上の増加であった。これは後述するように主として不動産投資に向けられたものであった。不動産事業の拡大に伴い不動産売上高、不動産利益は大幅に増加し、工事利益の減少を補ったが、金融収支面では、46年度の8,200万円の黒字から48年度には54億8,200万円の赤字へと大幅に悪化し、利益を圧迫した。

また、一般管理費は事業規模の拡大を目指した新規採用者の大幅増などもあり、146億円強から209億円強へと43%のアップとなった。

こうして、プラス要因の半面、強いマイナス要因が働いて、経常利益は46年度、47年度と続けて45年度実績を下回り、当期利益も47年度を除いて減益となった。そして、第1次石油危機後の総需要抑制政策下の厳しい経営環境のうちに、49年度を迎えることになった。

新長期経営計画はスタート直後のドル・ショックといい、石油危機といい、予知できない世界的な経済的大変動の波をまともにかぶって、大きく補正を加えざるを得なくなったのである。

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