■―原子力本部の設置
昭和45年(1970)7月、原子力に関する技術の研究・開発をより強力に推進することを目的として原子力室を設置し、着々と成果をあげ、組織を拡充してきた。51年5月に技術本部原子力部に改組、そして61年3月には、技術本部から原子力部門を独立させ、企画調査部、営業部、技術部で構成する原子力本部(本部長=常務取締役津室隆夫、副本部長=取締役松本 崇)を設置した。
原子力発電所は、大型110万㎾級の関西電力大飯発電所3・4号機本館(JV)、九州電力玄海原子力発電所3号機(JV)等や動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖原型炉もんじゅ原子炉建物・原子炉補助建物(JV)を受注し、その建設がすでに開始され工事は活況を呈していた。しかし、その後電力各社の原子力発電所の建設計画は、電力需要の増加が見込まれているにもかかわらず、ソ連のチェルノブイリ発電所の事故等の影響による反原子力への世論の高まりから繰延べが余儀なくされていた。こうしたことは、建設会社の原子力発電所施設に関する受注機会の低下をもたらし、競争激化の時代を否応なしに迎えることとなった。
一方、原子力産業界として使用済燃料のリサイクルや、放射性廃棄物の処理処分など原子燃料サイクルの確立へ向けて計画が開始されていたときでもあり、さらに新型炉、地下式原子力発電所などの新しい技術開発の重要性が認識され、より広範囲な技術対応が必要となってきた。
そのため、原子力部を本部制に移行して、その対象とする技術分野を拡大するとともに原子力部時代からのエンジニアリング活動を一層強化すること、すなわち、計画の初期段階から電力会社、機器メーカーとの関係を緊密にすることにより早期に情報を入手し、上流側での計画業務で必要な諸技術の支援や技術開発を行い、積極的な顧客支援体制を確立することが重要になってきた。
ちなみに、原子力発電所の建設においては、計画の開始から完成までに十数年にわたる長期間が必要とされる。初めの約1/3が計画、中間の約1/3が設計、後の約1/3が建設工事に大別され、受注活動はすでにこの初期の計画段階から始まる。
初期の計画の作成作業は電力会社および機器メーカーで行われ、機器と建屋の最適化、および安全性の確認が主な検討項目となる。日本では原子力発電所の安全性評価のなかに占める地震力の影響がきわめて大きく、建物と機器の耐震設計を最新技術を駆使して適正に行う必要がある。
こうした計画段階での建設会社としての主な役割は、施設計画の最適化、耐震予備検討など、主として電力・メーカーで行われる技術的問題解決への参画が中心である。
次の設計段階では、電源開発調整審議会{注}の審議を経て、安全審査、工事認可申請のための許認可助成業務が始まり、複雑かつ膨大な資料の作成作業が実施される。
本部として体制を整え、このような原子力エンジニアリング活動を一層強化することにより、次のようなテーマに顕著な成果がみられ、より広範囲にわたり、より円滑な客先対応が可能となった。
・軽水炉の高度化の研究
・新立地(第四紀層、地下立地)の研究
・高速増殖炉の研究
・原子力発電所免震技術の研究開発
・放射性廃棄物処分システムの研究開発
・廃炉解体技術の研究開発
・施工技術の合理化研究
・確率論的耐震安全性評価法の研究
なお、これら研究開発のなかから原子力耐震性評価関連の集大成と呼ぶべき「NORA」(Non-Linear Response Analyser)をはじめ、さまざまな電算プログラムが開発されていったことも特筆される。
平成元年5月に至って原子力本部は、その組織下に新たに設計部を設けて、原子力部、技術部、設計部の3部構成に編成され、原子力部に企画管理課、営業課、事務課を置いた。これは、当時九州電力玄海原子力発電所4号機、日本原子力研究所高温工学試験研究炉(HTTR)などの建設計画のほかに、国家的大プロジェクトである青森県六ケ所村の原子燃料サイクル3施設(ウラン濃縮施設、再処理施設、低レベル放射性廃棄物貯蔵施設)の事業化が進展していたため、原子力発電所に加えて原子力関連諸施設の受注活動を幅広く行う体制の整備が求められたからである。このようにして、従来プロジェクト・チームを組むか建築本部設計部で行われていた原子力関連施設の設計業務を強化するために、原子力本部の中に設計部が設置されたことにより、原子力の計画段階から研究開発、設計に至るまでの一貫体制が実現した。
注 電源開発調整審議会:総理府のもとに設けられている審議会で、日本国内の電源開発のありようを調整し審議する機関。