大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第4章 再び建設業冬の時代へ

貿易摩擦と財政赤字

第2次石油危機後の昭和55年(1980)初めから景気後退に入った日本経済は、58年2月に底を打った後、緩やかな回復過程に入り、3年に及ぶ戦後最長の長期不況から脱出した。

景気回復の牽引車は輸出であった。この時期外国為替市場は、米国の高金利を反映して過度なドル高・円安で推移していたため、わが国の輸出は、技術革新によって競争力を強めた高付加価値製品の続出と、円安との相乗効果によって著しい伸長をみせた。

わが国の貿易黒字の拡大が顕著なものとなり始めたのは、昭和40年代後半からである。主たる輸出先である米国との貿易収支の不均衡は年ごとに拡大し続け、貿易摩擦を起こした。摩擦の対象となった品目も、当初の繊維から鉄鋼、カラーテレビ、工作機械、自動車と続き、60年以降は半導体をはじめ電気通信機器、農産物、医薬品・医療機器の分野にも広がった。そしてまた、流通や建設部門への市場参入機会の不平等性が問題とされ、新しい火種となった。こうして日米間の貿易摩擦問題はいよいよ深刻なものとなり、対ヨーロッパ、対ASEANなど地域的にも広がりをみせた。

一方、国内の個人消費、設備投資などの内需は期待されたほどふるわず、これまで景気浮揚の役割を果たしてきた公共投資も、財政の硬直化から緊縮路線がとられたため、景気への寄与は少なかった。わが国の財政赤字は50年度から肥大化し続け、54年度には、一般会計予算に対する国債依存率は39.6%にも達し、財政再建問題が大きく浮上していたのである。

政府は増税なき財政再建を掲げ、56年3月、臨時行政調査会(第2臨調)を発足させ、行政運営の改善を図る一方、予算の概算要求枠をゼロ・シーリング(57年度)あるいはマイナス・シーリング(58年度)に設定するなど、極力歳出の削減に努めていった。第2臨調は、58年3月解散に至る間、5次に及ぶ答申を提出し、補助金の整理・合理化、医療費の適正化、3公社の分割・民営化、許認可事項の整理・合理化などの行政改革の基本方策を示した。そして第2臨調のあとを受け、58年7月新たに臨時行政改革審議会(行革審)が発足して、答申のその後の実施状況を監視していった。

しかし、当面の目標としていた59年度赤字国債発行ゼロは果たせない見通しとなり、政府は、58年8月に財政経済運営の柱として決定した「1980年代経済社会の展望と指針」の中で、改めて「1990年度までに赤字国債依存体質からの脱却」を掲げ、さらに62年4月、臨時行政改革推進審議会(新行革審)を設置してその推進を図っていくこととした。

この間、60年9月、先進5カ国蔵相会議においていわゆる「プラザ合意」が実現し、ドル高是正のための為替市場への各国協調介入が実施された。これによって1ドル=240円台(60年9月)の為替レートは急速にドル安・円高に向かい、61年7月には1ドル=150円台に突入した。このことによって、輸出の伸びは鈍化し一時的な円高不況を招来したのであるが、『経済白書』は60年度を「それまでの世界経済の枠組みを形作ってきたドル高・高金利・原油高に基本的な変化が起こった年」と位置づけている。

しかし、わが国の経常収支の黒字体質が一気に解消されたわけではなく、政府は貿易摩擦の解消、財政再建、民間活力を導入しての内需の拡大などを政策の主軸として展開することとなった。

低迷する建設需要

以上に述べたように、わが国経済は第2次石油危機後の長期不況を経て、昭和57年度(1982年度)を底に上昇軌道をたどりつつあった。しかし、そのような経済の立直りとは裏腹に、建設需要はこのころから不振を続けるのである。それは、公共投資の不振と民間設備投資の伸び悩みによるものであった。

公共投資は、従来の景気刺激策としての積極的運用から一転して、財政健全化のための抑制的運用へと変わった。それに伴い、実質でみた建設投資額のうち政府によるものは58年度、59年度と下降し、60年度に下げ止まって、61年度になってようやく57年度の線を越えるといった状況であった。

このような公共事業抑制の長期化に対し、59年7月、日本建設業団体連合会と日本土木工業協会は、共同で『公共投資推進について』という冊子を刊行し、その中で、わが国の社会資本の立ち遅れなどを指摘して公共投資の必要性を主張し、また公共投資の促進が財政再建の趣旨に反することにはならないとの見解を理論的に展開した。この冊子は広く関係方面に配布され反響を呼んだが、建設業界を代弁するそれらの主張が政策に反映されるには、なお時日を要したのである。

一方、民間設備投資は、従前の大企業中心の大型投資が一巡したのに加えて、投資の多くがメカトロニクス化、マイクロエレクトロニクス化などの先端技術や研究開発に振り向けられ、建設投資への投資割合は低下傾向をたどった。これまでその割合はおおむね40%であったのが、60年度には30%まで下がっている。

建設各社は、縮小した建設需要をめぐって激しい受注競争を展開し、他方で海外工事の獲得拡大へと向かっていった。

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