■―業界屈指の規模を誇る
当社は、戦後の復興に歩み出して間もなく昭和23年(1948)に研究部を新設し、26年には研究部を研究室と改めて、事務関係の研究を総務部、経理部等に移し、本格的な建設技術の研究活動を推進していった。30年代に至るこの間の成果については前章に述べたとおりである。
30年代も後半に入ると産業界における技術革新はめざましい進展をみせ、これに伴い工事は大型、多様、複雑化し、建設技術の開発、改善の必要性は一段と増大してきた。これらの情勢に応じるため、39年11月末、本店内に技術研究所設立準備委員会が設けられ、40年12月都下清瀬町(現・清瀬市)下清戸約8万㎡の地に技術研究所を開設した。
第1期建設として一般実験棟、構造振動実験棟、音響・空調実験棟、工法・機械実験室、付属施設などが開設と同時に完成し、46年3月には最大載荷能力2,400tの反力壁を擁する大型実験棟が完成した。同研究所は回転式空調実験室、多目的実験床(衝撃試験台)、大型振動台、300t構造強度試験機、200t万能試験機など多くの誇るべき設備をもつ業界屈指のもので、当社の技術の研究開発に多大な貢献をしてきた。
技術研究所は、土木、建築の各分野にわたり、基礎研究を行うとともに、それを応用研究の段階へ発展させることを目的とし、究極の目標を技術開発と工事の質的向上ならびに生産性の上昇においた。そのため、研究所の発足にあたって技術研究開発運営委員会を設け、半期ごとにテーマと予算を決定する制度をとった。運営委員会は社長に直属し、研究所長および各業務部門のエキスパートによって構成され、下部機構として総務、技術の両専門委員会を置いた。これは、会社が目指す研究開発方針を明らかにするとともに、個々の研究員が独善的な基礎研究のみに陥ったり現場と乖離することを避けるためであるが、決定したテーマの研究についてはきわめて自由で、他から制約されない仕組みとした。
組織は事務部(庶務課、会計課、資料課)と、工法・機械研究室、土質・基礎研究室、材料研究室、構造研究室、振動研究室、環境研究室、原子力研究室の1部7室で発足したが、44年6月には特許課が新設された。
技術研究所の開設とともに、本店研究室と東京支店分室は廃止され、大阪に支所を置いた。また、研究所では外部からの委託研究や各種の実験依頼にも応じて、多くの成果をあげており、これらの研究成果を記録した『大林組技術研究所報』(年刊)を41年創刊し、さらに44年1月から月刊で『研究ダイジェスト』を発行している。
ユニークな大林組技術研究所
昭和41年秋、当社技術研究所を訪れた建設省建築研究所の古川 修氏は、次のようにそのときの所感を述べている。
東京郊外清瀬にある大林組の技術研究所を見せていただいた。雨にぬれた芝が美しく、研究所は施設も人間もきわめてフレッシュである。
ここ10年来の建設活動の成長のなかで、日本の建設業は、おおいにその経営的な能力、技術的な実力を高めたのであったが、なかでもとくに専門家筋に強い印象を与えたのは、大手建設業を中心に、研究機関の設立が続々と行われたことだった。
しかもそれらの研究所は、設備、研究スタッフなどの点でめざましく成長しており、既存の諸機関を超えるに至っている。
大林技研の研究施設、研究テーマなどにはかなりユニークなものが含まれている。回転式の室内空調実験室は、つい先日イギリスの国立建築研究所長ウエストン氏が来日して、スライドで見せてくれた彼の研究所の施設と同趣旨のものであった。また、戸外に設けられた衝撃試験台は、30tの振子を宙吊りされた試験床(4.5m×8m、重量約70t)にぶつけ、任意の衝撃的な加速を与えようというもので、世界中でここしかない。構造物の破壊性状、地盤との相互作用などを研究するのに利用されている。また超高層建築などの振動実験に使われる振動台は、わが国で最大のものである。工事地盤の掘削、山留めなどに必要な土質の研究には、従来行われていた物理的、力学的な分析に代わって、土質化学的なアプローチが試みられている。
こうした施設の規模、成果の水準などをみて、私にはいく分の感想がある。
土木・建築の実務慣習の上では、多くの場合、企画・設計業務は発注者ないしその代理者であり、それらとのチームワークのなかで、ゼネコンは施工を専門的に分担するという建前になっている。しかし、現実に設計段階のディシジョンメーキングに属する業務、なかでも重要な意義をもつ技術開発業務の多くが、ゼネコンによって負担されている事実は注目に値する。研究所の将来に強い関心と期待をもっている。
―『グラフ大林』昭和42年・第69号より要約―