大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

9 大阪大林ビルの竣工

■―西日本初の超高層ビル

昭和48年(1973)1月25日、西日本最初の超高層ビル、大阪大林ビルの竣工式を挙行し、大林組伝来の地、天神橋南詰にその完成された偉容を披露した。

大阪大林ビルの建築概要は45年12月、東京本社設置の直後に発表し、翌46年1月23日に起工した。この年は創業80年に当たり、これを機に実現をみたものである。同ビルの敷地面積は4,995㎡であるが、「京橋3丁目特定街区」の指定を受け、建築面積を1,367㎡として周囲に緑の環境を確保した。このオープンスペースは、ビル利用者のほか、一般市民の憩いの場として提供されている。地下3階、地上32階、高さ120mに達し、延床面積は5万292㎡、容積率は150台の収容力をもつ駐車場部分を除いて853%である。構造は、地上部分が鉄骨造、地下部分は鉄骨鉄筋コンクリート造で、基礎は地下13.8mの大阪層群の上部砂層にベタ基礎で支持されている。

大阪大林ビル
大阪大林ビル
大阪大林ビル竣工修祓式
大阪大林ビル竣工修祓式
大阪大林ビル開館式でテープカットする大林社長(手前)と嶋道副社長
大阪大林ビル開館式でテープカットする大林社長(手前)と嶋道副社長

■―超高層建築のはじめ

当社では早くから超高層時代の到来に備え、設計、施工の技術者を海外に派遣するなど準備を進めていた。日本初の超高層ビルとして昭和39年(1964)4月着工し40年3月竣工した横浜ドリームランドのホテルエンパイアは、当社が手がけた。華々しく世に喧伝されることはなかったが、43年の霞が関ビルの完成より3年先立っており、建設省高層建築物構造審査会の審査を通過した超高層建築第1号であった。

超高層時代の幕開けを告げたホテルエンパイアは、軒高77.7m、地下2階、地上21階、塔屋1階で、施工計画、安全対策、精度の確保等、すべてにわたり未知の世界への挑戦であった。設計を担当した本店設計部のスタッフは、構造設計については東京大学の梅村 魁、溶接については早稲田大学の鶴田 明各教授の指導を受け、綿密な実験と試作を重ね、動的解析を用いて関東大震災の2倍の地震に耐える構造の建物として設計し、施工管理にはPERT方式を取り入れて工程の万全を期した。構造設計の動的解析を用いた建物として、とくに識者の関心を集めた。

その後、当社が施工した超高層ビルには、海外ではハワイのサーフライダーホテル(21階)、プリンセス・カイウラニタワーホテル増築(28階)、シンガポールのシンガポール開発銀行(DBS)本社ビル(50階)などがある。

国内でも一ツ橋総合ビル(16階)、東京のホテル阪急(JV)(16階)、札幌市庁舎(JV)(19階)のような高層構造のものはいくつも手がけてきたが、大阪大林ビルは当社が国内に示した本格的超高層建築といえる。

■―大阪大林ビルの構造的特徴

大阪大林ビルの設計は本店設計部が担当した。基準階の平面は、中央部に細長くコア部をまとめ、南北に柱のない広い事務室空間を設けて快適な執務空間の確保を図った。基本モジュールは1.8m×1.8mとして全館に採用、この1モジュールを1人当たりの執務空間としてある。

わが国の超高層ビルは外周柱の密に立ったものが多いが、これをやめて9mのロングスパンを採用したのも特色の一つで、このため室内からの眺望がすぐれ、高層ビルとしてのメリットが十分生かされている。外装材には耐火被覆を兼ねてPC板(ショックベトン社製)のカーテンウォールが採用されていて、質量感を出すのに成功した。

構造計画上の特色は、大林式クロス・ストラクチャー(OCS)方式がとられていることである。これはコア内に設けられた耐震壁(リブ付鋼板)を、16階にある高さ3mの大型梁で十字形に支える大架構形式で、細長い耐震壁の曲げ変形を外柱の抵抗によって小さくする効果的な架構配置である。耐震壁としては、これまで鉄筋コンクリート壁が普通であったが、重く柔構造の変形に十分に追随できない点があるので、このビルでは軽くかつ粘り強いリブ付鋼板を採用した。これは技術研究所で慎重な実験を重ね、その実用化に成功したもので、構造上の大きな特色となっている。

また、外周にボックス柱を使用したことにより、大スパン架構に生じやすい剛性不足を補い、十分なよじれ抵抗を確保してある。組立てに要する溶接等には特別の仕口や接合方式を採用したのも一つの特色である。

大阪大林ビルのクロス・ストラクチャー
大阪大林ビルのクロス・ストラクチャー

■―2階建エレベータほか設備の特色

高層ビルの動脈であるエレベータにわが国では最初の2階建(ダブルデッキ)を用いたのも、大きな特色である。このエレベータは2階建が同時に昇降するもので、上のゲージは偶数階、下のゲージは奇数階に停止する。ラッシュ時に利用者を効率よくさばけるほか、エレベータスペースの節減により事務室等の有効面積を著しく増大するメリットがある。

設備関係ではこのほか無公害の冷暖房施設と、そのための熱エネルギーの効果的利用が大きな特色である。空調用および給湯用冷熱源には、重油燃料をいっさい使用せず、全電気式熱回収ヒートポンプ方式を基調として、夜間電力を活用して蓄熱槽に冷水を蓄えるなど、経済性とともに都市全体のエネルギーバランスに配慮が加えられている。また、夏季冷房時にはガスエンジン冷凍機を稼働させピーク時に対応させている。

地下1階以上は全館にスプリンクラーを装置し、また電気室、駐車場等には炭酸ガス消火設備を備え、各種防災関係の中枢として、地下1階に防災センターを設置してある。

大阪大林ビルの建設は、事業の発展に伴う旧本店ビルの狭隘化に対応するものであったが、発展する当社の現状、将来にふさわしい技術の粋を集めた超高層ビルとして建設された。昭和49年(1974)、第15回建築業協会賞(BCS賞)を受賞したのをはじめ、同年第20回大阪府建築コンクールに入賞、50年に空気調和・衛生工学会賞、51年に日本建築学会賞を受賞した。さらに、後年、当ビルのリニューアル後(62年3月)、第1回インテリジェントアワード推進協議会・インテリジェントビル部門奨励賞を受賞した。このことは、48年当時の建築物であっても、現在の評価に耐えうるものであったことを物語っている。

その完成に伴い、本店は新ビル所在地の大阪市東区京橋3丁目37番地(平成元年2月、住所表示変更により大阪市中央区北浜東4番33号となった)に移転した。

ダブルデッキエレベータ
ダブルデッキエレベータ
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