大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第3章 景気低迷下の業績回復

第2次石油危機と景気低迷

前章に述べたように当社が業績の低迷にあえいでいるさなか、またしても石油危機が発生した。第2次石油危機かそれである。

昭和53年(1978)、イランに政情不安が広がり、10月には石油労働者のストライキが起こって同国の原油輸出が一時的に停止し、そのころ上昇気配にあった原油スポット価格が高騰、OPECが意図していた原油再値上げの条件は整いつつあった。翌54年1月、パーレビ体制が崩れ、2月にはホメイニ政権が樹立された。

このイラン革命に前後してイランの原油生産量は急減し、同国からの原油輸出は全面停止された。世界的な石油の需給逼迫を背景に、OPECは数次の総会を開き、原油の公式販売価格の引上げを断続的に実施し、53年末には1バレル当たり12.7ドルであったアラビアンライトの公式販売価格は、55年8月には30ドルにまで急騰した。とくに54年中はイランの減産による供給不安を背景に、ほとんどの産油国は公式販売価格のほかにプレミアム、サーチャージ(割増料)などの名目で販売価格を引き上げたため、原油の販売価格は上昇の一途をたどった。

こうした状況もようやく沈静化したと思えた55年9月、イラン・イラク戦争が勃発し、原油の需給はさらに逼迫し、同年12月、OPECはアラビアンライトの公式販売価格を1バレル当たり32ドルに引き上げることを決定した。この間、穏健派のサウジアラビアは常に急激な値上げに反対の態度を示し続けたが、急進派の諸国は最高の価格水準をとった。

54年の『経済白書』は、53年度の経済の特徴からみて、「40年代後半に生じた内外経済環境の変化による日本経済の成長軌道の変容に対して、それへの適応過程が一応53年度をもって終了したことを意味するものと考えられる」とし、「(第1次)石油危機後5年間という長期間を要したものの、一応の適応体制が整ったとみられるようになった」と判断していたが、こうした折に襲ったのが第2次石油危機であった。わが国経済は原油の“さみだれ”的な大幅値上げと供給不安に再び大きな打撃を受けたのである。

53年度後半から設備投資を中心として民間需要が盛り上がり、安定成長への足がかりが得られたかのように見えたわが国経済は、本格的な浮揚を果たせず、景気はスローダウンを余儀なくされた。54~57年度の実質経済成長率の推移(54年度5.3%、55年度4.6%、56年度3.6%、57年度3.4%)がこれを裏付けている。

石油危機のなか、54年6月に開かれた主要先進国首脳会議(東京サミット)では、石油消費の抑制と代替エネルギーの開発に取り組むことを決議し、各国の石油輸入抑制目標を決め、原油の供給不安に対処することになった。

これを受け、わが国は省エネルギーと石油代替エネルギーの開発に国力を尽くすことになった。産業界では重化学工業が石炭の輸入を増加したり、電力各社では石炭、LNG、原子力、水力の増強が図られ、石油のエネルギー総供給量に占める比率を低下させる努力がなされた。一般企業でもきめ細かな省エネ対策、製品の少消費エネルギー化が進められた。そして、これらの対策は予想以上の効果をあげたのである。

55年の『経済白書』が、「石油への弱さはあるかもしれないが、石油危機からの回復力は強いといえる」と評価しているように、第1次石油危機で多くの教訓を得ていたわが国の対応は比較的冷静であり、この時期の経済の調整局面も、2度の石油危機に直面しスタグフレーションに陥った欧米先進諸国からは、「うらやましい不況」ともいわれた。

民間設備投資が活発化

建設需要は、昭和50年(1975)以後、政府の景気対策としての公共投資が積極的に行われ、民間建設投資との総計では52年度に第1次石油危機前の水準を取りもどした。さらに54年度にかけて連続して公共投資は増加を続けたが、その後は伸び悩むことになった。

代わって53年度以降、民間設備投資が盛上がりをみせ、建設需要はそれまでの公共投資主導型から民間投資主導型へと転じた。

53年度は政策的な要請もあって電力を中心とした非製造業の設備投資が大幅に伸び、製造業の設備投資も年度後半から上昇に転じた。さらに54年度には、合理化、省力化、維持補修にとどまらず、生産能力増強投資も拡大し、民間設備投資は前年度比で10.1%(GNPベース、実質)の増加となった。

55年度も民間設備投資は堅調に推移した。とりわけ自動車、家電などの加工組立型産業の大手企業を中心とした設備投資が活発化し、その増勢は57年半ばまで続いたため、建設業者にとっては好材料となった。景気は低迷下ではあったが、民間設備投資が活発化したこの機をのがさず、工事受注高を伸ばし、経営の合理化を進めていった有力建設業各社は、着実に業績を回復させていったのである。

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