大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

6 相次ぐ起債

■―第2回転換社債とワラント債の発行

昭和50年(1975)以降の大量の赤字国債発行に伴い、わが国にも本格的な国債流通市場が形成され、金利の自由化が進むとともに、起債市場の弾力化や国際金融市場の発達が促された。また、55年末の新外為法の施行によって、海外での資金調達が自由化された。さらに、日本での社債発行の弾力化など資本市場自由化の要請があり、国内市場も海外市場に近づけるべく、発行形態、適債基準、担保等が徐々に弾力化された。

上記のような背景から、当社は、56年10月の第1回に続き58年5月に第2回無担保転換社債(100億円、利率5.1%、転換価額273円)を発行した。

翌59年4月にはユーロ市場において、米ドル建で5,000万ドルの新株引受権付社債(ワラント債:邦貨換算額約112億円、利率7.75%、行使価格244円)を発行した。当時の長期プライムレートは7.9%であったが、ドルの長期先物為替予約をすることにより、きわめて低利の資金調達をすることができた。

当社の60年3月期の借入金は1,344億円にまで減少し、金融収支の赤字も60億円に縮小した。これは金利の低下も大きな要因ではあるが、減量経営、渋滞債権の解消と並んで、低利の資金調達の効果でもあった。

初のワラント債発行―ロンドンでの調印式でサインする井辻専務(右から2人目)
初のワラント債発行―ロンドンでの調印式でサインする井辻専務(右から2人目)

■―第3回、第4回転換社債の発行

昭和60年(1985)3月に市場金利連動型預金(MMC)が導入された後、預金金利の規制そのものの手直しが順次行われ、金利の自由化が一段と進展した。

一方、好調な輸出、原油安、低金利などによって企業の収益は全般的に向上し、相当量の余剰資金が金融・証券市場にも流入していた。57年まで安定していた株価(57年の日経平均株価6,000~7,000円)は、58年ごろから上昇を始め、59年1月には1万円台に乗せ60年末には1万8,000円まで急上昇した。

このような金利自由化の進展や株価上昇の状況は、企業の起債意欲を一段と高めることになった。当社は61年12月に、第3回無担保転換社債(200億円、利率2.1%、償還期間12年)と第4回無担保転換社債(200億円、利率2.1%、償還期間15年)を同時に発行した。当社の株価も急騰したため、転換価額はいずれも981円となった。

このときの二つの転換社債の発行は、従前に比べ、それぞれ発行額において2倍、償還期間も2倍以上に拡大され、長期大型資金の低コスト調達が図られたのである。

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