大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

9 米国の公共工事を初めて受注

■―高い評価を受けた当社の技術

昭和54年(1979)8月当社が受注に成功し、10月に着工したサンフランシスコ市下水道工事は、わが国の建設業者が初めて米国本土で受注した公共土木工事であった。同工事はサンフランシスコ市の北部、シスコ湾に沿ってほぼ東西に走っているノースポイント通り地下の下水道幹線工事の二つの工区(N1工区1,300m、N2工区984m)である。とくにN2工区は全体に軟弱地盤であり、周辺環境に対する厳しい制約があったが、当社は、米国ではそれまで施工例のなかった土圧バランス式シールド工法で応札したのであった。

同工法としても当社の初期の施工例であるが、その技術力が建設技術専門誌『ENR』の誌上で高く評価されたことは既述のとおりである。その実績を背景として、56年には現地業者オルセン社らとの共同企業体により、続いて同幹線工事のW1工区を受注し、これをオープンカット工法で施工した。

次いで合衆国内務省の発注によりユタ州ヒーバーのストロベリートンネル、57年にはコロラド州ドローストンネル、58年にはニューメキシコ州でエネルギー省発注の放射性廃棄物処理テストプラント立坑トンネル工事を行うなど、ロサンゼルスを中心とした民間諸工事の増加と相まって、米国本土における地歩を固めた。

サンフランシスコ市下水道工事の関係者
サンフランシスコ市下水道工事の関係者

■―海外関係組織を整備

サウジアラビアでは、近代化政策の進展に伴い、各国建設業者が競って進出したが、当社も昭和51年(1976)1月、リヤドに駐在員事務所を開設した。次いで同年6月、現地業者RTCC(Al-Rachid Trading And Construction Company)と合弁で、SJCC(Saudi Japan Construction Company)を設立、工事の獲得に努めた。

その結果、52年3月のリヤド大学工事の受注に続いて、ペルシャ湾岸ジュベイル地区の住宅地開発工事を56年6月に受注した。同地区はサウジアラビアの工業開発、資源開発の中心地として知られ、各国建設業者が参加したが、日系業者の進出は最初であった。

その後、サウジアラビア外務省外交官団地造園工事や在サウジアラビア日本大使館など大型工事の受注に成功したが、60年以降はオイル価格の低迷、イラン・イラク戦争の余波などにより、同国の経済活動が停滞し、同社は休眠状態となった。

東南アジアではインドネシア、タイ、シンガポールに次いで、カンボジア、マレーシアにも進出していった。

このような海外工事への著しい進出に伴い、57年5月、東京本社の海外組織を一部改正した。その要点は次のとおりであった。

  • 営業活動の強化を図るべく、海外業務部の営業課を分離独立させ、海外営業部を新設した。
  • 海外土木工事の契約、クレーム処理等に当たるため、海外土木部に契約管理課を設けた。

この結果、東京本社における海外関係の組織は次のようになった。

財務部 海外財務課
機械部 海外機械課
海外業務部 総務課・法務課
海外営業部 管理課・営業課
海外事業部 事業課
土木本部海外土木部 事務課・契約管理課・工事課・見積課
建築本部設備部 海外設備課
建築本部海外建築第一部~第三部 事務課・建築課

また、56年12月、サンフランシスコ市下水道工事の受注に伴い、同地に駐在員事務所を開設したが、続いて米国東部、マレーシアにも次の駐在員事務所を新設した。

57年 10月 ニューヨーク駐在員事務所
  11月 クアラルンプール駐在員事務所(63年10月に廃止)

ニューヨーク駐在員事務所を新設したのは、既設のロサンゼルス、サンフランシスコ両駐在員事務所がともに西部に所在し、米国全土の情報把握が困難なためであった。またニューヨークは、米国のみならず全世界の大型プロジェクトに関する情報が集中するので、ここを海外戦略の拠点とするために設置したものである。したがって当初の任務は主として情報の収集であり、しだいに業務を広げた。

また、クアラルンプール駐在員事務所は、マレーシアにおける建設需要の増加に対応して開設されたものである。

開設当時のニューヨーク駐在員事務所が入居していた建物
開設当時のニューヨーク駐在員事務所が入居していた建物
OBAYASHI CHRONICLE 1892─2011 / Copyright©. OBAYASHI CORPORATION. All rights reserved.
  
Page Top