大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

第2章 低成長時代の苦闘

一変した経済環境

1ドル=360円というのが、戦後長く続いた円の対ドル為替レートであった。このレートのもとで、わが国は経済の高度成長を成し遂げてきた。しかし、昭和46年(1971)、米国の貿易収支の赤字転落を契機にニクソン大統領が行ったドル防衛策は、戦後のIMF体制を揺るがし、為替を変動相場制へと変えていった。輸出依存度の高いわが国経済への影響は大きく、“ドル・ショック”あるいは“ニクソン・ショック”と呼ばれた。しかし、それも大量のドル買い支え、国際収支の大幅黒字などに加え、景気対策としての金融緩和策などが相まって通貨供給量が増大し、折から47年7月、「日本列島改造論」を掲げる田中内閣の登場によって、景気は一気に過熱した。全国的に不動産投機ブームを巻き起こし、株式、ゴルフ会員権、美術品、宝石などにも投機熱が広がった。

そのような状況下に突如襲ったのが、第1次石油危機といわれる、アラブ産油国による“石油戦略”であった。

48年10月6日、第4次中東戦争が勃発したが、戦争自体はわずか36日間で終結した。しかし、その間、アラブ諸国の発動した石油を武器とした戦略は、広く世界の政治、経済に深刻な影響を与えた。

まずぺルシャ湾岸6カ国は、同月16日原油公示価格の一方的値上げを宣言し、アラビアンライト原油は1バレル当たり3.0ドルから5.1ドルへと一挙に70%も引き上げられ、他の油種もこれに準じた。

このことは値上げそのものが突然であり、かつ大幅なことも深刻であったが、従来メジャーの手中にあった原油価格決定権を産油国が握ったことにも重大な意味があり、以後産油国の恣意的な値上げに歯止めがなくなった。

それ以降もOAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、原油生産削減と差別出荷、一層の値上げを行い、49年1月1日にはアラビアンライト原油公示価格は1バレル11.6ドルとなった。これは石油危機直前のじつにほぼ4倍に相当した。

わが国経済は、石油危機によって、図らずも原料・燃料である石油を海外に大きく依存する体質のもろさを知らされることになった。戦後の復興期を経て高度成長を続けてきたが、49年度は実質成長率が初めてマイナスとなり、衝撃的な影響を受けた。48年2月に策定された「経済社会基本計画」も実質との間に大きな乖離が生じたため改訂を余儀なくされ、新たに51年度以降5カ年の計画として、わが国経済を高度成長から安定成長路線へと軟着陸させ、安定的発展と充実を目指した「昭和50年代前期経済計画」が策定された。いわば高度成長との訣別であった。

石油危機以後、強力に実施された諸施策の効果により、50年度に入ると物価の上昇は落着きをみせるに至った。しかし、一挙に冷え切った景況は回復のきざしさえ見せず、このため経済政策は物価対策から不況対策へとシフトされていった。50年2月から9月の間に、4次にわたる不況対策が実施されたのである。50年10月、政府は赤字国債2兆2,900億円の発行を決定したが、以後これが恒常化し、後に財政圧迫の要因となった。

これらの不況対策にもかかわらず景気回復ははかばかしくなく、長期にわたって景気の低迷が続いた。また、産業界では資源多使用の重化学工業中心から知識集約型産業重視へと構造転換が進んでいくことになった。

苦境を迎えた建設業

石油危機発生前から建設資材の高騰、技能労働者の不足、労務賃金の上昇がしだいにコストを押し上げる傾向にあったが、石油危機勃発によって一層拍車がかかった。建設主要資材の高騰に加えて、石油製品の異常な高騰は建設コストを大きく押し上げ、建設業にとって死活問題となった。建設業界の力をもってしてはいかんともなしがたい非常事態であり、このまま推移した場合は、工事の続行はもとより、ひいては工期内完成が困難となり、さらには業者の倒産にもつながりかねない危機に直面したといえる。

このため建設業界では、公共工事については、「公共工事標準請負契約約款」に定める「賃金又は物価の変動に基づく請負代金額の変更条項」(いわゆるスライド条項)の適用を求める一方、民間工事についても同様の措置がとられるよう強力に働きかけた。その結果、まず建設省が昭和49年(1974)4月通達をもってスライド条項の適用基準を示してこれに応じ、順次地方公共団体等への波及化が図られたほか、民間工事も発注者の大方が値増し要請に応じた。しかし、この交渉には業界としても、また各社においても多大の努力を要したのである。

こうした施工をめぐる問題に加えて、受注面でもさらに厳しい局面を迎えた。政府のとった総需要抑制策によって、公共工事は低迷し、民間工事に至っては、かつてないほどの落込みをみせ、建設需要の冷込みはきわめて深刻なものとなっていった。

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