大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

9 業績の急伸

■―受注高2兆円に迫る

当社の受注高が初めて1兆円を突破したのは昭和63年度(1988年度)(平成元年3月期、第85期)であった。一方、売上高はこの時ほとんど1兆円に迫り、翌平成元年度には1兆円を超えた。これはいずれもそれまでの最高であった。

63年度においては、公共工事は前年度並みの水準であったが、民間工事については好調な国内需要を背景とする企業の活発な設備投資を反映して、製造業の発注が大幅に伸び、非製造業の発注も好調を維持したため、建設市場はきわめて活況のうちに推移した。

こうした情勢下にあって、当社は総力を挙げて受注に努力し、その結果、受注高は前期比21.9%増の約1兆2,026億円となり、売上高も前期比15.2%増の9,446億円となった。一方、利益の面では業務全般にわたる総合的質管理を推進し、原価の低減に努めた結果、経常利益で前期比32.8%増の約328億円、当期利益で前期比18.6%増の約110億円を計上することができた。

当社ではこうした業績急伸のうちに平成時代に入っていった。さらに引き続き堅調が予想される民間設備投資、首都圏・近畿圏の複合型都市再開発の活発化などの情勢に十分留意しつつ、受注量の拡大、工事消化能力の向上を重要課題としてとらえ、そのために需要創出型営業の推進、エンジニアリング事業の拡充、工事消化体制の効率化、新技術の研究開発、海外事業の推進に積極的に取り組んでいった。また総合的質管理をさらに推し進め、経営の合理化、体質の改善・強化を引き続き図っていった。このような努力と景気の拡大を背景に、受注高は、平成元年度には1兆5,329億円(前年度比27.5%増)、さらに2年度1兆9,539億円(前年度比27.5%増)と著しい増加となり、また売上高、経常利益、当期利益も急上昇して、過去最高を更新し続ける成績を収めたのであった。

■―ファイナンスも続く

昭和62年(1987)10月にニューヨーク市場に端を発する株価の大暴落(ブラック・マンデー)が起こり、わが国でも日経平均株価が2万6,000円台から2万1,000円台へ下落するなど、一時世界の株式市場は大混乱となったが、わが国では比較的早く回復し、63年9月ころから株価は再び上昇していった。

しかし、平成元年半ば以降、都心部を中心とした地価の暴騰や円安傾向を是正抑制する目的で金融引締め策がとられ、数度に及ぶ金利の引上げに伴って、これまで急騰を続けた株価は、元年末に3万8,915円と過去最高を記録した後、2年2月から急落していった。

このような情勢のなか、当社は業績向上基調を背景として、今後の業容の拡大に伴う資金需要に備えるため、以下のように相次いでエクイティファイナンスを行い、低コストの資金調達を果たしたのである。

平成元年3月 第5回・第6回・第7回無担保転換社債
(総額300億円、平均利率1.6%)
1993年満期米貨建新株引受権付社債
(2億ドル:約246億円、利率4.25%)
平成2年12月 1994年満期米貨建新株引受権付社債
(4億ドル:約531億円、利率4.5%)
平成3年8月 1995年満期米貨建新株引受権付社債
(3.6億ドル:約500億円、利率4.75%)

このほか、当社では初めての国内CP(コマーシャルペーパー)を元年7月に発行して以降、これを継続的に行い、また3年秋には、これも初の無担保社債を発行するなど、資金調達の多様化を図っている。

なお、61年ころからかなりの企業で金融会社を設立する動きが見られ、当社においても、ファイナンス面から営業支援をするため、元年11月に国内に株式会社オーシー・ファイナンス(資本金2億円)を、翌12月には、海外における事業資金の効率的調達・運用を目的として、大林ファイナンスインターナショナルB.V.(資本金350万ギルダー、約2.5億円、オランダ)を設立した。

転換社債および新株引受権付社債の発行決議公告(平成元年3月15日付 日本経済新聞)
転換社債および新株引受権付社債の発行決議公告(平成元年3月15日付 日本経済新聞)
OBAYASHI CHRONICLE 1892─2011 / Copyright©. OBAYASHI CORPORATION. All rights reserved.
  
Page Top