大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

6 コンピュータ活用の推進

■―機器の増設と更新

昭和45年(1970)12月の東京本社の発足とともに、従来本店に置かれていた機械計算部を東京本社に移し、本店には大阪機械計算課を設置した。これに伴って、東京ではそれまで本館7階の一部を使用していたのを、別館の完成(45年11月)とともにその8階、9階へ移転すべくテナント工事に着手し、46年4月、移転を完了した。別館の最上階9階は当初からマシン室専用として計画され、機能的で使いやすく、将来も考慮に入れて設計されていた。なお、このマシン室は、当社が開発した免震床「ダイナミック・フロア」の第1号として51年10月に、さらに54年5月にも工事を行い、計303㎡がその後のダイナミック・フロアの技術営業のよき見本となった。

別館への移転を契機に、大規模・大型化してきた技術計算に対応し、増加する事務処理業務に対処するため、新規にNEAC2200/250を増設した。47年、この導入された新機と従来のNEAC2200/500との大小コンピュータを結合した自社用会話型遠隔処理システムは、NEACユーザー会から表彰を受けている。

一方、大阪では48年1月の大阪大林ビルの完成とともに大阪機械計算課は新社屋の14階に移り、同年5月、本店における技術計算の効率処理とその利用拡大を図るためにIBM370/135を導入した。

このようななか、将来のコンピュータ利用のあり方、機種の選定、ソフトウェア開発などについて検討を進めるため、機械計算部長以下4名の調査チームが結成され、48年5月、2週間にわたって渡米、調査が行われた。そして同年11月、コンピュータ利用各部門とのコミュニケーションをより密にし、東京本社に設置する大型コンピュータの高度利用を図るため、業務機械化委員会に技術計算専門委員会を設置したのであった(52年に電算業務運営委員会として発展的に解消)。

この結果、東京本社には、増大する事務処理量に対処するためNEAC2200/500に代えてNEAC2200/375を設置(49年3月)、また図形情報処理をはじめとした汎用大型構造解析ソフトウェアの利用を見通し、米国の大学とのプログラム交流や研究成果の導入などを考慮して、その利用と活用を図るため、技術分野の専用機としてIBM370/158を設置した(49年8月)。さらに50年、事務専用機として日本電気の新しい機種ACOS-700を導入し、これによってNEAC2200/375は撤去されたが、このACOS-700も54年4月にはACOS-800に更新されていった。

東京本社機械計算部コンピュータ室のダイナミック・フロア・システム
東京本社機械計算部コンピュータ室のダイナミック・フロア・システム
ACOS-700
ACOS-700

■―技術部門での端末機の利用拡大

昭和46年(1971)、日本電信電話公社は第1次通信回線の開放を行い、科学技術計算用データ通信サービスを開始した。これによって建設技術分野でも豊富なソフトウェアが提供されることになり、当社の設計部門でも端末機を設置することによって、設計者が自ら機器を操作し、それを利用して業務処理が進められるよう、東京本社建築本部設計部には46年3月、本店建築本部設計部には同年6月にそれぞれ1台ずつ端末機が設置され、有効に使用されることになった。

これが、当社における通信回線利用、そして部門での端末機利用の幕開けである。

さらに通信回線の利用を図り、電通のタイムシェアリングサービスを利用するため、46年8月、東京本社土木本部技術部設計課にも端末機を設置した。これによって、技術分野におけるコンピュータの利用は、構造設計、積算、施工、研究開発の分野をはじめ、CAD(コンピュータ支援による設計)などにまで急速に拡大した。加えて、IBMデータセンターの豊富なアプリケーションとグラフィック端末の利用を開始するとともに、IBMの全国通信ネットワークを経由して、各支店の技術関連部門からも本社機を利用できる体制を整えていった。

48年8月には超大型の計算処理に対処するためと、災害・緊急事態等のバックアップマシンとして使用するために、三和銀行系列企業グループによって設立された株式会社東洋情報システム(当社も出資をしている)の大型コンピュータと東京本社および本店を接続する端末機も設置した。

技術研究所に端末機が設置され、通信回線による本社機利用が開始されたのは50年のことである。それまでは郵送か研究員が本社まで足を運んでコンピュータ処理をしていたが、これを機に技術研究所内から直接本社機の利用ができるようになり、その効果ははかり知れないものがあった。同年12月には、東京本社と本店のコンピュータも特定通信回線で結び、両機の運用・利用体制の統一を図った。これは、当時の建設業界にあって最も進んだコンピュータの利用形態であった。

続いて51年3月には、各支店においてもコンピュータの利用を推進するため、これまで利用していたIBMデータセンターのネットワークを自社ネットワークに変更し、名古屋、福岡、広島、横浜の各支店にIBM端末機を設置して、公衆通信回線によって東京本社のIBM機による技術計算処理を実施した。これは52年5月、仙台、札幌両支店にも広げられ、こうして当社の全支店ネットワークは完成した。

■―ソフトウェアの拡充

機械計算部は、このように機器の増設・更新によって技術計算の高度化、拡大化に対応するとともに、一方でソフトウェア技術の向上を図るため、昭和47年(1972)6月、米国ボーイング社が航空機設計用に開発したプログラム「ASTRA(汎用大型有限要素解析ソフト)」を購入した。この大型プログラムの導入は新聞に取り上げられ業界でも注目されたが、米国技術者と当社の手によってこれを技術系職員が利用できるよう変換し、社内教育なども含め活用の促進を図った。その結果、その後の当社における技術計算分野のレベル向上に大いに貢献することになった。また、本店に設置されていたIBM370/135をグレードアップしたIBM370/158を使って、グラフィック・ディスプレイ利用による企画設計の総合システム「SPACE」を開発、50年6月、その新聞発表には大きな関心が寄せられた。

50年代に入ってからのこのようなコンピュータ利用に関する顕著な変化は、機器そのものの利用とともに、ソフトウェアの開発・利用が注目され始めたことでもあった。すなわち、ソフトウェアの重要性とその価値が急速にクローズアップされだしたのである。当社では52年12月、電算業務運営委員会の下部組織としてシステムおよび技術計算の両専門委員会を設け、現行システムの再検討、総合システムの検討をはじめ、今後開発すべき技術計算プログラムやコンピュータ利用およびプログラム開発に関する広範囲な問題の検討を行い、その後のコンピュータ活用に反映させることになった。

建設業界において、当社はこうした分野でも優位な地歩を築いていたため、システムの開発ばかりでなく普及業務も行うとともに建設業界へのソフトウェア貸与も積極的に行っていった。一方、55年8月ごろからソフトウェアを次々に購入、技術部門の業務合理化、高度化に対処していった。また、同年9月には日本語処理漢字情報システムの導入によって、人事情報や工事情報の漢字化も進められていった。

IBM370/158システム
IBM370/158システム

■―CADの開発と普及

コンピュータ利用による設計の自動化に関しては、すでに昭和40年(1965)から東京大学生産技術研究所と「ケーソンの自動設計・製図」の共同研究を行うなど実績を積んできたが、45年に自動図化装置(プロッター)の外部使用を東京本社で開始した。続いて50年6月から東京本社に、52年5月には本店に本格的に自動図化装置が導入され、建築工事の企画設計に関する作図をはじめ、山留図、コンクリート図、鉄筋加工図などの施工図、その他土木工事の各種設計図の作図が可能となった。このうち「FORWARD」と名付けられたコンクリート図の作成システムは社外に広く知られ、この分野での先駆的な役割を果たしている。

当社は、51年3月英国で開催された第2回CAD国際会議にもいち早く参加、その後、米国にも調査・研究に社員を派遣するなど、この分野の開発努力を重ね、大いに成果をあげてきた。ちなみにCAD端末機については、55年4月東京本社建築本部工務部に設置して実務への利用を開始以来、56年までに東京本社に9台、本店に3台が導入された。

CADルーム
CADルーム

■―工事事務所における小型コンピュータの利用開始

工事事務所において最初に小型コンピュータを利用したのは、昭和46年(1971)3月に着工した九州電力玄海原子力発電所1号機本館工事においてであった。ここでは主に労務、外注に関する原価管理に小型コンピュータを用いていた。次いで54年3月には事務の集中処理を行い省力化を図るために、東京本社・城南地区工事事務所に小型コンピュータが導入されている。土木工事現場の最初は、55年の西池袋工事事務所であった。ここでは労務、予実算管理、出来高管理等が小型コンピュータで処理されることになった。また海外工事では55年6月、シンガポール埋立工事事務所にNEACシステム100が設置され、経理、給与計算、原価管理、連続土工の施工管理に大いに活用されていた。こうして工事現場におけるコンピュータの利用はしだいに進んでいった。

以上、この間のコンピュータ利用の急速な歩みは、46年に策定された「業務機械化、事務合理化計画」を基本として、建設技術やコンピュータ利用技術の大幅な進展と、石油危機以降の経営効率化、経費節減および少数精鋭と生産性向上の要請のなかで遂行されてきた。

54年4月、機械計算部は名称を電子計算センターと改称し、管理課、システム課(複数)、大阪電算課の構成となり、これを機に独立収支部門に改められた。

コンピュータを操作する現場の職員(東京駅土木工事事務所)
コンピュータを操作する現場の職員(東京駅土木工事事務所)
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