大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

5 高度情報化への対応

■―ニューメディアの波及

ニューメディアという言葉の定義はいろいろとなされているが、「電子技術の進歩や通信手段の開発で可能になった、新しい情報伝達手段の総称」といえよう。

昭和50年代の後半に入って、コンピュータとデジタル通信技術の発達により、新しいコミュニケーション手段としてさまざまなニューメディアが登場してきた。

時の中曽根内閣による「60年代経済・社会の展望と指針」の中に高度情報社会という用語が多用され、この言葉も市民権を得た観があるが、こうした情勢を背景に、官民を問わず、ニューメディアと高度情報化という二つをキーワードにした新しいコミュニティ構想が打ち出されてきた。

たとえば、日本電信電話公社によるINS(高度情報通信システム)構想の提唱と、これに続くINSのモデル実験計画の発表(59年11月より三鷹市と武蔵野市で実験が実施された)、58年(1983)に相次いで出された郵政省の「テレトピア構想」と通産省の「ニューメディア・コミュニティー構想」、61年から推進された農林水産省の「グリーントピア構想」、建設省の「インテリジェント・シティ構想」などである。

60年4月には「電気通信事業法」が施行され、電気通信事業の自由化と日本電信電話公社の民営化が実現し、競争原理の導入によって情報通信システムの発展が加速されることになった。

このような社会の動きに対し、当社では59年7月、東京本社にニューメディア対策委員会およびニューメディア調査計画室を設置した。同室では、ニューメディアあるいは高度情報化をテーマに設けられた官民の各種委員会・研究会・協議会等に当社の窓口として参加し、ニューメディアそのものの調査研究やこれに関連する建設需要、新規事業等の動きについての情報入手と対応に当たるとともに、当社におけるニューメディアに関する総合施策の立案、社内導入・活用の検討を行った。

■―インテリジェントビルからニューオフィスへ

昭和59年(1984)の初めごろ、米国における情報機能をもったビル、インテリジェントビルがわが国に紹介され、60年に入ると、わが国でも学会、建設業者、設計事務所、デベロッパー、NTT、電機メーカーなど幅広い分野で、活発に調査研究が行われるようになった。

ニューメディア調査計画室としても、まずメインテーマとして「インテリジェントビルを中心とした施設の情報化に関する調査研究」に取り組むべきであるとの判断から、インテリジェントビルの海外視察団やインテリジェントビル関連外部研究会に参加するとともに、関連資料を収集し、検討を重ねた。また、営業部門および設計部門へのインテリジェントビルに関するサポート業務がしだいに増加していった。得意先からもインテリジェントビルに関する照会が多く寄せられるようになった。

一方、建設省においても、61年に住宅局がインテリジェント・ビル研究委員会を、都市局がインテリジェント・コンプレックス推進協議会をそれぞれ設置した。ゼネコンはもとより、各業界がこぞってこれに参加するなど、その関心はますます高まりをみせた。

これらを受けて61年4月、ニューメディア調査計画室は発展的に解消し、エンジニアリング本部の中に情報化施設プロジェクト部を設置し、客先対応をメインとする一方、同室の業務も引き継いで担当することとした。

インテリジェントビルがわが国に紹介された際のポイントの一つは、STS(シェアド・テナント・サービス)であった。当社でも米国でのSTSの事例研究や日本におけるSTS事業化の検討を行ったが、62年3月、そのノウハウの取得と問題点の把握を目的として、本店ビルの14テナントを対象にSTSを試行した。

その成果は、その後のインテリジェントビルに関する客先へのプレゼンテーションに大いに役立つとともに、62年11月に中規模ビルのインテリジェント化モデルとして完成したオーク江坂ビル(大阪府吹田市)に生かされた。また、当社が情報通信に関する知識やノウハウを習得するきっかけともなった。

62年後半、通産省所管のニューオフィス推進協議会が設立される前後から、インテリジェントビルのポイントとして、それまでの情報通信機能に加え、アメニティとフレキシビリティが強く意識されるようになった。

インテリジェントビルが紹介された当時、情報システム関連部門がこれに対応するのが一般的であったが、このころになると意匠設計や設備設計など設計部門が中心となって活動するようになってきた。当社もこの動きに対し、建築本部設計第三部および本店建築設計第一部にインテリジェントビルを担当させることとした。これに伴い、従来それらの施設を担当してきた情報化施設プロジェクト部は、情報システムプロジェクト部と名称変更し、もっぱら情報通信システムの構築・開発等の業務を担任することとなった。

なお、61年8月完成した当社技術研究所のハイテクR&Dセンターは、「免震ビル」として話題となった建物であるが、その数値解析研究室は、平成元年の第2回「日経ニューオフィス賞」のニューオフィス化推進優秀賞を受賞し、当社のニューオフィスへの取組みが評価された。

日経ニューオフィス賞を受賞した技術研究所数値解析研究室
日経ニューオフィス賞を受賞した技術研究所数値解析研究室

■―社内情報システムの高度化

ホストコンピュータを中心とする専用回線によるコンピュータのネットワークについては、すでに東京本社、本店、支店など国内の主要事業所間に構築されていたが、電話の専用回線によるそれは、東京本社、本店およびその周辺事業所(横浜支店、神戸支店、東京機械工場、大阪機械工場、技術研究所)間だけであった。

昭和62年(1987)に至り、情報通信ネットワークの高度化、効率化を目的に東京本社・本店間の専用線をそれまでのアナログ回線から高速デジタル回線(768kps)へと変更するとともに、東京本社および本店にテレビ会議システムを導入した。

なお、同年には、電気通信事業の自由化に伴い新規に参入した第二電電をはじめとする電気通信事業者への対応も含め、新たに名古屋、東北の両支店、京都、浦和および千葉各営業所間に電話専用回線ネットワークを拡大し、平成元年には和歌山営業所にも導入した。

さらに電話網、加入電信網、データ通信網、ファクシミリ網などに分かれていた電気通信網の統合化の動きを前提に、コンピュータと通信とを統合した最適ネットワークを整備するため、平成2年3月、情報通信ネットワーク整備プロジェクト・チームが設置された。

具体的には、①店間・部門間の通信手段を見直すことにより利便性の向上、コストの低下を図る、②時間と場所を克服したコミュニケーションの実現(たとえば、あるグループのなかで交わされる指示、打合せ事項、アイデアなどを、いつでも、どこからでも発信・受信できるシステムを構築する)、③社内の各担当部門が、情報通信を活用して業務の改善、合理化を進めようとする際の支援や提案などを行うこととした。

このようにして、情報の提供機能の拡充・強化が進められ、平成3年10月、主要事業所(東京本社、本店、各支店、技術研究所)間に、電話、ファクシミリ、データ等を統合した高速デジタル専用回線によるネットワークが完成した。

東京本社と本店間のテレビ会議システムを利用して行われた専務会
東京本社と本店間のテレビ会議システムを利用して行われた専務会
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