大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

4 海外視察と技術の開発

■―相次いで渡航

当社では早くから海外の先進技術の吸収を心がけ、大正時代に技術者2名をアメリカに研修のため派遣したのをはじめとして、大林義雄社長、大林賢四郎常務が欧米視察を行ったことは、すでに述べたとおりである。

戦後における建設業者の海外進出はおおむね昭和40年(1965)以後であるが、当社は早くも25年8月、パキスタンの首都カラチで開かれた万国産業博覧会の日本館建設に従事した。通産省の発注による全館アルミ外装の展示館5棟、750坪(2,475㎡)の小規模なものであったが、戦後の海外での工事の最初である。

その後、ビルマ(現・ミャンマー)の水力発電所をはじめ、東南アジア諸国の賠償工事が開始され、日本業者が進出するきざしが現れた。当社でも30年代に入るとともに将来に備えるため、次々と役職員を各地に派遣し、これら諸国の事情調査に当たらせている。31年2月には、東京支店に海外工事部も設けられた。

また、技術革新時代に即応するため、欧米先進諸国の建設事情視察の海外出張も、31年以降相次いだ。

茨城県東海村に日本原子力研究所が発足したのは31年6月であるが、当社では同年10月、常務取締役稲垣皎三、東電千葉火力発電所工事総主任河田明雄、研究室東京分室長永井久雄をアメリカに派遣し、各地の原子力施設を視察させ、さらにイギリスのコールダーホール原子力研究所を見学させた。本店研究室長菅田豊重も32年3月、33年1月の2回渡米し、フィラデルフィアおよびシカゴで開かれた原子核学術会議に出席するとともに、欧米各地の原子力施設を視察した。36年以後になると、他の炉型導入の気運も高まり、本店工務部次長谷口尚武をはじめ多くの技術者を海外視察に派遣することとなった。

昭和36年、欧米視察時の谷口尚武本店工務部次長(ロサンゼルスにて、右から5番目)
昭和36年、欧米視察時の谷口尚武本店工務部次長(ロサンゼルスにて、右から5番目)

■―OWS工法を開発

日本経済の高度成長に伴い、都市化が進み、多くの都市公害が生まれたが、なかでも騒音と振動については建設工事がその発生源として指摘され、社会から非難されることになった。建設業者は、これらの公害防止のために無音無振動地下工法の導入開発に努めたが、当社が他社に先がけて開発に成功したOWS工法は、独自の技術開発として高く評価されている。OWSのOは大林、Wはウェット、Sはスクリーンの略である。

これまで地下に建造物をつくるには、まず周囲に矢板を打ち込んでいたが、矢板は止水の目的を完全に果たさないばかりか、打込みに際して大きな振動と騒音を伴う欠陥があった。OWS工法はこの欠点を是正するもので、ベントナイトその他の泥水液を充満させつつ、地中に長小判形断面の竪溝を連続掘削し、この中に鉄骨または鉄筋コンクリート製の構造体を構築して、これを土留用壁体とする工法である。

この工法のヒントはイタリアから導入されたイコス工法から得た。無音無振動工法を模索していた当社技術陣は、昭和35年(1960)夏、中部電力の畑薙ダム工事に採用されているこの工法を見学し、きわめて注目すべきものとして研究に着手した。掘削機械がないまま、さく井機を用いて穴を掘るなどの苦心をしながらテストを進めた。その結果、一応コンクリートの柱列ができ、ベントナイトの止水効果も確かめられたので本格的な開発に取り組み、翌36年4月には、OWS工法の名称も決まった。このときの実験工事の経験から、吸上げ式パーカッション型掘削機械が開発された。

実用に供されたのは新大ビルの第2期工事のときで、柱列式で行われたが、柱列式にはさまざまな問題点があることがわかり、連続壁体をつくるために機械部でクラムシェルバケットの試作を開始し、その使用によって現在のような連続壁体が可能となった。

クラムシェル、パーカッションの両方式を最初に使用した工事は、37年5月、大阪の池萬ビル建設のときで、これが本格的OWS工法のはじめといえる。続いて39年、ロータリーカッターを開発し、40年には中国電力下関発電所工事で、OWS壁体を支持杭に利用した。このときは板状の支持杭のほかに、閉鎖多角形の平面でケーソンと同様のものをつくり、煙突の基礎としたものである。また、このころ行われた名古屋近鉄ビル(JV)工事では、壁体の継目に鉄板を使用する工夫も行われ、後にPCコンクリートで鼓形のものをつくり、継目を処理する方法も開発された。

当初のベントナイト泥水の処理法は石油ボーリングの泥水管理法を踏襲したが、技術研究所では農業化学の研究者を迎え入れ、独自にCMC、分離剤、逸泥防止剤などを添加調合する新たな処理方法を開発した。そして、泥水の品質を管理するための大林式泥水試験法や、廃棄液の処理による2次公害防止のため、廃液を水と固形分とに分離する廃液処理法も開発した。

初め、無音無振動の仮設土留壁を目標に出発したOWS工法は、このような過程を経て発展し、やがてOWS工法による地中連続壁は本工事の地下外壁として土圧を受け止める役割を果たすものとなり、さらに地震等の水平外力に耐えうる耐力壁としても使用されるようになった。41年、フランスのソレタンシュ工法を導入してからは両工法を併用。一体化することによって、当社の地中連続壁構築工法はより完全な工法となり、当社の代表的地下工法の一つとして各種建設工事に広く採用されるようになった。

なお、44年7月、とくにOWS工法に関する功労者として谷口尚武常務をはじめ関係者27名が表彰されたが、本店技術部技術第二課の橋本良介課長は特別表彰を受けた。

パイルコラム工法も、OWS工法と時期を同じくして開発した無音無振動地下工法であり、地上から設置した杭(パイル)をそのまま地下階の柱(コラム)とするためこの名称がある。これはラジオ東京(現・TBS)テレビ放送局局舎増築工事において、アースドリルによる地中穿孔とコンクリート杭の挿入み施工からヒントを得たものである。パイルコラム工法として正式に使用したのは、36年8月、ヂーゼル機器本社工事である。

OWS工法等によって、剛性の高い山留壁が使われるようになってからは、地下工事にパイルコラム工法・逆打ち工法が多用され、工期短縮に大きく寄与した。こうしてこれらの工法は、工事の進行工程全般に大きな影響を与えたのである。

OWS工法施工の概要(当時)
OWS工法施工の概要(当時)
OWS工法を最初に使用した池萬ビル工事
OWS工法を最初に使用した池萬ビル工事
当時OWS工法に使われたワイヤー式クラムシェル
当時OWS工法に使われたワイヤー式クラムシェル
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