鉄鋼・造船・重機工場の増設
昭和41年(1966)から45年半ばまで続いた好景気のなかでも、驚異的な生産の伸びを遂げたのは鉄鋼業であった。粗鋼生産の伸びは41年度24.3%、42年度23.7%、43年度12.5%で、44年度には22.2%、8,703万tに達し、輸出も順調に拡大した。鉄鋼各社は次々と設備投資を行ったが、以下は40年代前半(一部46年)に竣工した当社施工の代表的な製鉄所である。
●鉄鋼
<住友金属工業>
和歌山製鉄所Ⓓ工場・同第二転炉工場・同第二製鋼連続鋳造設備、名古屋工場405建家、小倉製鉄所第二転炉、鹿島製鉄所HK圧延工場・同原料岸壁・同第一製鋼工場第1期
<神戸製鋼所>
加古川工場製鋼工場・同熱延工場
<日本鋼管>
福山製鉄所分塊熱延工場(第2工区)・同厚板工場・同大形第二分塊工場第2工区・同コークス設備第3期、第4期・同第二大形工場・同第二熱延第1工区
<川崎製鐵>
水島製鉄所厚板工場・同大型条鋼工場第2工区・同熱間圧延工場・同大型条鋼工場第2工区および増設・同第二棒鋼工場、千葉製鉄所第二冷延工場増築
<大同製鋼>
知多工場新線材工場・同製鋼工場増築
<八幡製鐵・新日本製鐵>
君津製鉄所コークス炉・同条鋼センター、大分製鉄所コークス炉
<その他>
東海製鐵冷延工場増築、海南鋼管第一製管熱間工場、吾嬬製鋼所千葉製造所条鋼工場、日本製鋼所室蘭製作所第四鉄構工場
このうち、住友金属工業和歌山製鉄所では、当社は33年に戦後初の工事に従事して以来、引き続き土木・建築で多くの工事に携わってきた。このうち最大のものは36~38年に行った転炉工場工事で、次いで41年から42年にかけて第二転炉工場ほか焼結設備、鋳型棟、鋳型ヤード、送風発電所、第二製鋼連続鋳造設備を建設し、これらに伴う土木工事も相次いで行った。
神戸製鋼所加古川工場は、銑鋼一貫工場として播磨臨海工業地帯に建設され、厚板工場、高炉、製鋼工場、ペレット、発電所などの工事があり、45年1号高炉の火入れを行った。当社はこのうち厚板工場の第2工区(JV)、工作工場、製鋼工場、熱延工場を施工したが、熱延工場は請負金30億円を超える大規模なものであった。
日本鋼管福山製鉄所は、備後工業特別地域の中核をなす地に年間粗鋼1,500万tの生産を目標に計画され、高炉、転炉、分塊、熱延、冷延などの基幹施設の建設を一挙に行う他に例をみないダイナミックなものであった。このうち、当社は第1期のコークス炉(94門)と分塊熱延工場、第2期のコークス炉(120門)と厚板工場、第3期のコークス炉(104門)を施工し、さらに引き続いて第4期のコークス炉(175門)、第二熱延工場、第二大形工場を施工し、工事は40年代後半まで続いた。
川崎製鐵水島製鉄所は、38年新産業都市に指定された水島市の製鉄・石油コンビナートの中心をなす工場で、30年代後半にも各種工事を行ってきたが、41年に着手した厚板工場および大型条鋼工場はとくに大規模な工事であった。
大同製鋼知多工場は、名古屋市南部に隣接する臨海工業地帯、知多半島横須賀町(現・東海市)にあり、新線材工場および製鋼工場増築工事は、30年代後半から続いている同製鋼工場建設の一連の工事であった。知多工場のほとんどの工事は当社が施工しており、請負金は当時すでに計100億円を超えていた。
八幡製鐵君津製鉄所は、京葉工業地帯の重要な一環をなし、粗鋼年産1,000万tを目標として建設されたが、当社は42年からこの第1期計画の高炉2基に要するコークス工場を設計・施工で担当した。
一方、造船業では40年代に息の長い第3次輸出船ブームが続き、とくに世界的な原油タンカーの大型化に応えてわが国の造船業界は建造施設の大型化を急いだ。また、これらのほかに化学・機械など各分野でも技術革新のための投資が盛んに行われ、大型設備投資が相次いだ。
40年代前半に竣工した当社施工の造船・重機工場のうち、代表的なものは次のとおりである。
●造船・重機
日立造船堺工場船殻工場、川崎重工業坂出船殻工場(JV)、石川島播磨重工業相生工場第三ドック、三菱重工業広島造船所重機械工場・同高砂製作所ポンプ冷機部工場
以上の工事のほかにも、三菱化成工業坂出工場コークス炉第1期、三菱油化四日市川尻分工場PC土建、アジア石油横浜製油所貯油槽などがあった。このうち、香川県坂出市にある三菱化成工業は、瀬戸内海の二つの島の間を埋め立てて開発された番の州工業地帯にあり、コークス工場、ガスタービン火力発電所、原油精製工場、アルミ精煉工場、同加工工場等のコンビナートを形成しているが、当社は坂出コークス炉第1期工事を45年に終え、続いて40年代後半に第2期、第3期工事を行った。
また、アジア石油横浜製油所貯油槽は、わが国初の大型半地下式原油タンク(11万7,000㎘)で、当社はその地下部分を設計・施工で担当した。内径65m、深さ20mの地下タンク部を、OWS工法による地中連続壁の土留壁と逆巻き工法によるコンクリート側壁の組み合わせによって構築したものであったが、これは技術的に大いに注目を浴び、その後のLNGや石油地下タンク建設の先鞭をつけるものとなった。
このように、30年代後半に本格化した重厚長大産業を中心とする臨海工業地帯の開発は40年代にも続き、工業立地のための大規模な工場敷地造成や臨海埋立地造成工事が相次いだのであった。当社施工の代表的な工事は、東洋不動産の近江八幡工場集団敷地造成、名古屋西部木材港泊地浚渫、岸和田臨海工業地帯造成、兵庫県東播磨港伊保地区埋立地造成などであり、40年代後半まで続いた鹿島臨海工業地帯の各種工事にも携わった。