■―イホープカの東京開催
第1次石油危機は日本経済に大きな打撃を与えるとともに、経済のみならず社会的、文化的にも多くの教訓を残した。
石油危機後、建設業界では国内の建設需要の停滞をカバーするため、海外工事の受注に積極的となり、とりわけ産油国への進出はめざましいものがあった。昭和47年(1972)に倍増したわが国の建設輸出は、その後も急激な伸長をみせた。このことは、世界の建設業者との競争において、わが国の建設業が技術面でも大進歩を遂げ、欧米の業者とも互角以上の力をつけてきた証左でもあった。47~53年度の海外建設協会会員56社の海外建設受注実績の推移は、右図のとおりである。
業界の海外進出意欲のあらわれとしてイホープカ(IFAWPCA、アジア・西太平洋建設業協会国際連盟)の東京開催(49年4月、第13回大会)があげられる。大林社長は本会議において日本代表団団長としてその重責を果たした。
この大会は特筆すべき二つの議題が用意されていた関係もあって、開会前からその成果が注目されていた。
その一つは、世界各国の建設業界がエネルギー危機、国際的インフレ傾向のなかで、強い圧迫、影響を受けていることに関して、情報の交換やそれぞれの国内での働きかけに一致協力しようという実質的な内容をもつものである。もう一つは、イホープカのほかに、地域建設業者連盟をもつ欧州、中南米の両連盟とあい携え、世界建設業者団体連盟の創設、発足が予定されていたことである。
大会6日目の4月13日、大会を締めくくる第2次総会が開かれ、世界建設業連盟(CICA)の結成が取り上げられ、決議された。これによって、建設業の国際交流が欧米先進国にも広がり、世界の建設業界はエネルギー問題、契約上の諸問題等、その解決への働きかけに相互に協力していくことになった。