大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

4 コンピュータの導入から汎用化へ

■―初期のコンピュータ利用

事務の機械化に関しては、昭和33年(1958)3月から、総務部、経理部を中心にパンチカードシステム(PCS)による会計、営業統計等の機械化処理を目標として検討を開始した。36年に企画室および事務合理化委員会が設置されてからは、両者が中心となって検討を進めた。

37年10月、日本レミントンユニバック社のU-1004のPCSを採用することに決定し、翌38年3月、本店に機械計算室を設置して導入準備に入った。全面的な実施に移されたのは39年で、工事の現況表作成、給与計算、超過勤務統計、昇給、賞与支給通知書の作成、工事機械賃貸料計算、同償却金計算、請負工事勘定の内訳簿、収支一覧表の作成等を開始した。また、同年末には東京支店にもカード穿孔機を設置して、同支店と東京機械工場の給与計算を行うなど、順次適用範囲を広げた。

技術計算の機械化については、設計部を中心に研究を進め、当時の機種の関係で事務の計算処理とは別に、構造設計、耐震設計等の技術計算を社外のコンピュータを使用して行った。39年7月、技術計算機械化委員会を設置、同年末には技術機械計算準備室(本店所管)が東京に置かれ、技術計算のためのコンピュータ導入に関する調査研究を行うとともに、同室が社外機利用の窓口となり、三菱原子力計算所(MCC)等を利用したが、40年8月、MCCに加入してからは、43年7月までIBM7090型によって計算処理とプログラム開発を行った。また、この準備室では技術系職員を中心にプログラム講習、ネットワーク講習等を実施し、講習用テキストの整備にも当たった。

このように、初期コンピュータの導入は事務系、技術系それぞれ別の過程をたどってきたのである。しかし、その後事務・技術に共通して使用できる汎用コンピュータの採用が望ましいという結論に達し、これを総合的な見地から再検討するため、40年9月、技術計算機械化委員会に代わり、新たに業務機械化委員会を設けた。

機械計算部
機械計算部

■―大型汎用機の導入

業務機械化委員会は、機器、PERT、原価、営業、事務、予実算の6専門委員会に分かれ、それぞれ対象業務について研究を重ねた。なお、技術機械計算準備室は昭和41年(1966)8月、機械計算部門を統合した機械計算室東京分室の設置によって廃止された。

そして、本店のユニバックU-1004型に対し、東京支店には日本電気の大型汎用コンピュータNEAC2200モデル500を導入することを決定し、43年4月これを設置した。また、各支店および大阪、東京の両機械工場と倉庫に端末機器を設備、全店を結ぶ機械化も行われた。

NEAC2200の設置とともに、39年以来社外機使用によって蓄積された技術計算、事務計算のプログラムをこれに移す作業と、それまでU-1004で処理してきた業務を新しいシステムに移行するためのプログラム作成が急速に進められ、全社的なコンピュータ活用のため、各専門委員会ではそれぞれシステムの研究を進めた。これらはいずれも業務機械化委員会に付議され、実施に移された。

自動製図装置(プロッター)
自動製図装置(プロッター)

■―機械計算部の設置

中央コンピュータの設置によって業務機械化が充実するとともに、機械計算室の人員も増加したため、昭和43年(1968)12月、これを機械計算部に拡充し、大阪と東京に機械計算課を設けた。またコンピュータの有効な活用のため45年4月、同部に開発課を置いた。

NEAC2200は43年4月に実働を開始し、同年10月には月間稼働時間が400時間を超え、機器の増強を迫られた。そこで44年3月、N-2200の増設を行い、周辺装置も増強した。機械工場の小型コンピュータも、44年7月に大阪、45年3月に東京で、それぞれN-1210型を1240型に更新して高性能化し、端末機も増強した。

OBAYASHI CHRONICLE 1892─2011 / Copyright©. OBAYASHI CORPORATION. All rights reserved.
  
Page Top