大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

2 経営の合理化

■―科学的経営の推進

戦後の復興は建設需要を呼び起こし、復興から成長へと移るにつれて工事量が増大し、業界の繁栄をもたらしたが、同時に業者間の競争も激しくなった。業者は、工期の短縮、工費の低減を目標とし、施工の機械化、近代化によってこの競争に打ち勝つとともに、内部でも経営を合理化して体質の改善を図っていった。いわゆるドンブリ勘定の長い伝統をもつ建設業界は、昭和24年(1949)制定の「建設業財務諸表準則」によって一応経理面の近代化をみたのであるが、この段階において、いよいよ強く脱皮を迫られるに至った。

31年1月、大林社長は年頭訓示で、経営の合理化、科学化について以下のように述べている。

「これまでわが業界には、いわゆる勘による経営、腰だめ式経営が多かったのでありますが、いろいろな事情がいよいよ複雑化しつつある当代におきましては、到底それだけではやってゆけないのであります。もちろん、建設業の内容は複雑でありますから、多年の経験を充分生かさねばなりませんし、又、常に機を摑むことに敏でなくてはならないのでありますが、今後の建設業の道は、あくまで科学的経営ということを基本としなければならないのであります。例えば工事獲得の基礎となる調査、聞き込み、いわゆる手入れでありますが、広くということも大切ながら、力点をどこにおくべきか、何に力を入れるべきかを時に応じて正確に認識してかからなければなりません。それについては内外の情勢分析、産業経済界の推移に対する正確な判断を必要とするのであります。(中略)

又、施工の科学化でありますが、これは最も優れた、且つ最も合理的な施工の方法を確立して、これによって施工することであります。ある意味におきましては、それは施工の標準化ということができましょう。建設業は注文生産であって、工事の態様はそれぞれ異っていても、これを分析して考えれば幾つかの共通普遍の部分に分析し得て、そこに標準化、規格化の道があるものと思います。標準化、規格化に成功すれば自らより優秀な施工結果と能率の増進、工程の促進という成果を挙げ得るわけであります。かような着眼と、分析総合こそ施工の科学化であります。このようなことは、庶務の業務、経理会計の業務についても同様でありまして、科学化は経営のあらゆる部面について行なわれなければならないのであります。」(『社報』31年1月5日、第1号から)

高度成長の入口に立って、当社では科学的経営、施工の合理化を命題とし、さまざまな施策を積極的に実現していった。

とりわけ、経営・管理部門に携わる事務系幹部職員をアメリカに出張させ、繁栄を誇る米国企業の経営思想や経営管理、生産システムなどを実地に見聞・学習させ、それによって得たものを当社の経営に生かそうとしたことは、経営陣首脳の意欲を示したものといえよう。31年3月、大林芳茂が、やや下って38年2月には岡田 正が渡米した。

大林芳茂は帰国して間もなく本店総務部長となり、33年11月取締役に就任、36年3月企画室が新設された際には企画室長となって、経営計画立案の責任者として重責を果たした。また、岡田 正は渡米当時本店人事部長の職にあったが、帰国後の39年11月取締役に就任し、人事諸制度の改革を進めたのである。

経営計画について社員に周知を図る『マンスリー大林』の記事(昭和39年5月号より)
経営計画について社員に周知を図る『マンスリー大林』の記事(昭和39年5月号より)

■―企画室の設置

昭和36年(1961)3月、トップマネジメントを補佐するスタッフ機構として、本店に企画室を新設した。これにより経営計画の立案、そのために必要な統計や資料の収集と整理、経営情報システムの立案、事務の合理化方策の立案、関係会社の資料の収集・分析など、高度経済成長時代に対処する社内体制は一段と強化され、全社的視野による経営計画の立案、事務の合理化等がより精密に行われるようになった。

このような組織は、当時大企業が相次いで新設する傾向にあったが、建設業界では他に先がけていた。続いて同年8月、企画室を中心とした事務合理化委員会を設置し、帳票類の整理・統合を行い、文書類保存期間を制定したほか、提案制度の検討など、多くの合理化施策を実施していった。また、電子計算機導入についてはのちに述べるが、当初その推進に事務合理化委員会と企画室とが当たった。

■―経営5カ年計画を策定

企画室の発足後、昭和39年(1964)5月には経営計画規程を制定し、これに基づき、43年度を目標年次とし、5年間を展望した総合計画としては当社初の長期計画である経営5カ年計画を策定した。そしてその達成のため、半期ごとの実施計画である短期計画を策定することを定め、これらの経営計画を審議し上申するための機関として経営計画委員会が発足した。

この時期は経済の高度成長を背景に、所得倍増計画をはじめ、前途に明るい展望が開け、各有力企業は長期見通しのもとに計画を立案し、これを遂行しようとする気運が盛んであった。

5カ年計画においては、まず総論として目標と方策を掲げ、次に長期個別計画として、①土木工事獲得消化計画、②建築工事獲得消化計画、③工事機械計画、④人事計画、⑤組織・施設計画、⑥技術・事業等開発計画、⑦事務合理化計画、⑧資金・利益計画に分けて個別に詳細に検討、立案された。

さらに店別に長期計画が立てられ、①土木・建築工事獲得計画、②土木・建築工事消化計画、③組織・施設計画に分けて検討、立案された。

計画の策定にあたっては、まず長期需要予測を行い、国民所得倍増計画、通産省中期経済見通し、建設省諸資料などを検討し、これに内外の政治経済および建設に関連する諸事情の動向を勘案し、建設投資を決定する公共投資、民間設備投資、住宅投資、経済成長について年平均伸び率を予測した。

今日からみると、実際の伸び率は予測をはるかに超える旺盛なものであったが、当社では計画に従い、現実に即しつつ多くの合理化と近代化を果たしていった。

■―創業70年記念行事を執行

昭和36年(1961)、当社は創業70年を迎え、これを記念する諸行事を10月10日から大阪はじめ全国各地で挙行した。

10月10日午前7時、神戸市東灘区御影の大林邸に大林社長はじめ大林家の参列者と、当社役員、関係会社役員代表が参集し、大林家墓地で墓前祭を執行した。

続いて、大阪市天王寺区の生國魂神社において神前祭を行い、午前11時から、東区馬場町の大阪市立中央体育館で記念式典を挙行した。出席者は大林社長以下役員、関係会社役員代表のほか、顧問、本店管内の在勤者929名に加え、招待者として大林家一族、旧役員、関係会社旧役員、後援者・縁故者遺族、30年以上勤続の在阪旧職員が参加した。

式典は社長の式辞に始まり、後援者遺族代表今西与三郎氏、縁故者遺族代表松尾岩雄氏が祝辞を述べ、旧役員代表鈴木 甫、関係会社代表小津利一、従業員代表遠山勇吉がそれぞれ挨拶した。続いて特別功労者4名、40年以上勤続者9名に対する表彰を行い、白杉嘉明三、本田 登が謝辞を述べた後、祝宴に移った。表彰者氏名は次のとおりである。

特別功労者―白杉嘉明三、植村克己(故人)、中村寅之助、田邊 信

40年以上勤続者―塚本 浩、本田 登、岩崎甚太郎、宝来佐市郎、大野曽長、高井久治、宮崎茂雄、武田吉太郎、植村利一

また、この日、全国各地の支店および大阪、東京両工作所でもそれぞれ式典を挙行した。

翌11日は、大阪の新大阪ホテルに京阪神の得意先を招待し、続いて17日に東京(帝国ホテル)、19日札幌(グランドホテル)、23日名古屋(観光ホテル)、11月6日には福岡(博多帝国ホテル)で同様の得意先招待会を開いた。当社からは大林社長以下役員、支店長、関係部長ら幹部が出席し、得意先の永年のご愛顧を深謝した。各地とも官民の諸名士数百名が来会し、盛会であった。また、本店および各支店所在地において、林友会招待会を開催し、当社首脳が出席して、日頃の協力に感謝した。

なお、この記念行事にあたり、記念品として得意先関係には内外木材工業製の木製トレイを贈り、従業員には銀杯あるいは木杯を贈与したほか、『大林組70年略史』を刊行し、社内および各方面に配付した。

創業70年式典会場での祝賀会(大阪市立中央体育館)
創業70年式典会場での祝賀会(大阪市立中央体育館)
祝賀会で中井光次12代大阪市長の祝福をうける大林社長
祝賀会で中井光次12代大阪市長の祝福をうける大林社長
神前祭(生國魂神社)
神前祭(生國魂神社)
協力会社招待祝賀会で挨拶する大林社長
協力会社招待祝賀会で挨拶する大林社長

■―業績の推移

成長の昭和30年代にあって当社の業績は以下のように著しい伸長をみせ、拡大の40年代へと引き継がれた。

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