■―借入金縮小への努力
当社にとって多くの悪条件が重なったこの時期、経営の重要課題は、工事量の確保、借入金および固定費の縮減、工事利益率の向上であり、前述の訓示や告示、通達にも指摘されたところである。
積極的な方策として、工事量の確保を図るため、需要創出型営業を推進し、全社員が営業マンとしてきめ細かく情報をキャッチして受注につなげること等についてはすでに触れたが、他の方策は経費節減を含む全社的な“減量経営”による利益の確保であった。
とくに増大した借入金の返済は、工事代金の取下げ率の向上とともに、企業財務の根幹を立て直すべき重要かつ緊急のテーマであった。昭和40年代後半以降、当社が積極的に進めてきた開発事業は用地取得のため多大の資金を要したが、その資金の多くが借入金によるものであったことは前章に記したとおりである。加えて、石油危機以後、工事代金の取下げ率が低下し、日常の運転資金にも難渋するようになった。このため、農林系金融機関への借入先拡大を図ったが、その調達は困難を極めたうえ、高コストを伴うものでもあり、金融費用負担はふくらんでいった。
石油危機発生後、総需要抑制策として公共投資の繰延べ、銀行貸出しの強力な規制が実施された。昭和48年(1973)12月、大蔵省から金融機関に対し、融資のあり方についての通達が発せられ、土地取得に関する資金等、緊急と認められないものに対する融資が抑制されたのである。そしてさらに、49年3月には大手金融機関11行に対し、取引先企業についての融資実態の特別調査が実施され、当社も特別調査の対象企業とされた。
当社では48年以降、不動産投資については、開発計画区域内残地の買収は部分的に続行するが、きわめて限定して行うこととし、分譲不動産の取得についても新規事業は原則として取りやめることとした。このほか、会社施設への投資を中止するなど不急の支出を抑制していった。
しかし、工事代金の回収が悪化し、立替金が急激にふくらむなど資金繰りの厳しさは、かつて経験したことのないほどであった。51年3月期には借入金残高は2,983億円と3,000億円の一歩手前までふくらみ、総資産に対する借入金の割合は4割を超え、またその年度の売上高に対しては7割までになり(通常2割までが適正割合とされる)、金融収支は110億円のマイナスとなった。
このような事態に直面し、当社は緊急の課題として膨張した借入金の縮減に立ち向かった。その方策として、次項に述べるように工事代金取下げの促進、そして手持不動産の売却に当たったのである。この間、政府の金融政策は不況脱出に向けて転換し始め、50年4月以降、公定歩合は8次にわたって引下げが行われ、53年3月には、戦後最低の3.5%にまで下がった。また51年7月以降、当社はプライムレートの適用を受けることができるようになったが、これらは、金利負担に苦しむ当社にとっては慈雨ともいえるものであった。
不動産の処分等による資金余剰は、最優先で借入金の返済に充当され、手元流動性預金積増しの課題を残しながらも、半期に100億円前後の返済を行い、これを漸減させていった。こうしてようやく、57年3月末には借入金残高は当面の目標であった2,000億円を割り込む1,788億円までになったのである。