<労働時間>
所定労働時間については、従来年前9時~午後6時であったが、昭和55年(1980)1月1日より終業を30分短縮して午後5時30分までとし、実働7時間30分とした。
これは一つには、中高年齢者の雇用確保、欧米との労働時間の格差縮小等を図る労働省の強力な行政指導があったこと、また、世間一般の風潮も中労委の調査にもみられるように(大手企業436社平均7時間29分)、労働時間短縮の方向にあることなどによるものであった。
当社ではすでに53年、会社と職員組合による「時短推進委員会」を設け、所定外労働時間の短縮に向け努力しつつあったが、30分の時短を達成した後も超過勤務時間は微増にとどまった。これは時間管理に関する諸施策の成果を物語るものであり、同委員会は使命を果たしたことが確認されたので、56年6月廃止された。
<日曜全休>
建設業界はその業種の特殊性から、明治時代以降一般化した日曜全休の例外的存在であった。戦後、22年に「労働基準法」が施行されたが、建設業の現場では一般に第1・第3日曜を定休日とし、その他の日曜日は適宜他日に振り替えることとして対応した。しかし、40年代も後半になると労働時間短縮の傾向が進み、週休2日制を採用する他産業が増加するに伴い、建設業界の立ち遅れは一層きわだってきた。そのため日本建設業団体連合会でも、日曜全休の実施を業界全体の問題としてとらえ、その推進に取り組み始めた。
当社では工事現場の日曜全休を47年度の短期経営計画の目標に加え、定着化への努力をすることになったが、同年11月、工事事務所において日曜日を全休日とする取扱いに関して通達を発し、やむをえず日曜日に工事を行う場合には、所管先の長の承認を受けさせるなどの措置を講じ、日曜全休の徹底を図った。
次いで48年4月「国民の祝日に関する法律」の施行に伴う振替休日も加わり、法定休日は増加した。
<土曜休暇>
土曜日の午後を早退とすることは、当社では42年以降年間を通じて行われるようになったが、原則として各職場ごとに半数以内としていた。47年4月、早退者数に関する制限を撤廃し、各職場責任者の責任において業務に支障のない者を早退させることができることとした。
一般産業界では週休2日制が進んだが、建設業界では旧来の労働慣行の変更はなかなか容易ではなく、その普及は遅々として進まなかった。しかし社会の大勢でもあるところから、大手業者の間に同調の気運が高まり、当社でも51年4月、月1回交代制による土曜休暇制度の実施に踏み切った。その後、58年度から第2土曜日を全員一斉休暇とし、61年度からは第2・第3土曜日の月2回に拡大した。
<夏期休暇と永年勤続休暇>
高度成長に伴って、わが国の産業界でも夏期休暇の制度が年々普及してきた。当社では年次有給休暇を3日程度まとめて夏期にとるよう指導してきた。
そこで47年4月、初めて夏期休暇制度を制定、8月中の連続した3日間を休暇として、業務の繁閑等の状況を勘案し、常設機関は交代制により、現場では可能なかぎり一斉にとることとした。
その後の経過をみると、常設機関においても交代制より一斉休暇の方が、いくつかのメリットのあることがわかった。また、夏期休暇の一斉取得方式は社会的にも定着しつつあった。
そこで51年4月、夏期休暇制度の一部改正を行い、常設機関および現場を通じ、8月14、15、16の3日間、いわゆる“お盆休み”の期間に特定することにした。また、年末年始休日を12月30日~1月3日と、1日延長した。
永年勤続者を表彰する制度は13年から行われてきたが、53年4月からは職員組合の要望を入れ、永年勤続休暇制度が発足した。その概要は次のとおりである。
・理事、職員については、勤続年数満12年に達した者は7日、22年および32年に達した者はそれぞれ14日の連続休暇を取得できる。
・現業職員については、勤続年数満15年に達した者は7日、25年に達した者は14日の連続休暇を取得できる。