大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

7 人事諸制度の改正

■―人事施策の変化

昭和50年(1975)以降、当社は新卒採用、現業職員・雇員の採用を極力抑え、定年制を厳正に履行し、総人員の抑制を図ってきた。また、常設管理部門の人員の縮減を図って、営業、現場部門への配置転換を推し進めてきた。

54年度に入って業績の回復がみられたことにより新卒採用を徐々に増やしていったが、女子技術者についても積極的な活用に取り組み始め、その後、年を追って女子技術系の採用者は増加してきている。

こうしたなかで、前章で述べたように、50年4月の教育訓練計画の策定による一層の組織的・計画的教育が打ち出され、集合教育や指導員制度(50年3月事務系にて発足、56年女子にも実施)等の社内教育および留学、派遣等の社外教育にも力を注いできた。

また、現場業務の合理化としては、53年5月から地区工事事務所(地区事務センター)制を活用し、一定地域における小規模現場の事務の統合処理を進めた。一方、人事部門の業務についても、コンピュータを活用し人事情報システムの整備を行うなど、部門内の業務の省力化を図ってきた。

この時期の職員の処遇、労働条件については、次項以降に述べるような改善を進めた。

■―従業員制度

当社の従業員制度は終身雇用、すなわち定年制形式による職員のほか、期間を限って雇用する臨時職員によって成立していた。建設工事には一定の期間があり、現場も特定されるところから、この制度は受注動向等に合わせて雇用を調整しうる利点があった。そのため建設業界では古くから一般的に採用されてきた制度であるが、これを臨時職員の立場からみればきわめて不安定な雇用形態ということになる。

そこで昭和47年(1972)11月、臨時職員は第一職員労働組合を結成し、雇用の安定をはじめ各種労働条件の改善に関する要求を会社に提出した。

会社側では有期雇用者である臨時職員を、雇用契約の反復更改によって継続的に雇用するのが実情であったが、それは労働関係訴訟の判例上は、期日を定めない雇用とみなされるものと考えられた。

また当時は、労働需給関係が逼迫しつつあり、雇用の不安定な臨時職員を新規に採用することも困難な事情にあった。こうしたことから48年4月、現業職員等に関する制度を新設したが、その概要は次のとおりであった。

  • 55歳を定年とする終身雇用者を現業職員、従来どおりの有期雇用者を現業雇員とした。
  • 現業職員は各本・支店ごとに、当該所管工事事務所等の業務に従事する要員であり、満55歳未満で1年以上雇用されており、将来にわたって雇用する必要があり、かつ当該本・支店管内で転勤が可能である者とした。
  • 現業雇員は、①当該工事の竣工までを期間として雇用する必要のある者、②1年以内の期間を限って雇用する必要のある者、③満55歳の定年到達後、再雇用の必要のある者とした。

これに伴って、現業職員については職員の就業規則等、また現業雇員については従来の臨時職員の就業規則等に基づき、それぞれ就業規則、給与規則、旅費支給規程等を制定した。この新制度の発足により、臨時職員3,914名のうち1,645名が現業職員となり、現業雇員は2,269名となった。次いで51年6月、会社は第一職員労働組合と労働協約を締結、その後は毎年協約を更改している。

■―留学制度の拡充

海外留学制度は、昭和39年(1964)7月新たな制度のもとにスタートし、40年度に3名(土木1名、建築2名)をスタンフォード大学、南カリフォルニア大学、ハーバード大学に留学させたのを始めとして、以後毎年5名内外を米国、欧州等の主要大学や設計事務所に留学させてきた。

56年9月には毎年の枠を10名に増やし、留学先も欧米以外の国にも広げて、より広い知識の吸収や人的交流の拡大を図った。

海外留学者の数は平成2年度には161名に及んでおり、国際的視野に立った技術の開発・導入、経営の合理化、事業の海外への展開など、各方面でこれら留学経験者が果たした役割は大きなものがあった。そして留学等を通じて築いてきた人脈は、国際化の時代を迎えた今日において貴重な財産となっている。

またこのころ、慶應ビジネススクールや国際開発センター等にも国内留学先を広げた。

イリノイ工科大学留学生の卒業式
イリノイ工科大学留学生の卒業式

■―労働時間・休日・休暇

<労働時間>

所定労働時間については、従来年前9時~午後6時であったが、昭和55年(1980)1月1日より終業を30分短縮して午後5時30分までとし、実働7時間30分とした。

これは一つには、中高年齢者の雇用確保、欧米との労働時間の格差縮小等を図る労働省の強力な行政指導があったこと、また、世間一般の風潮も中労委の調査にもみられるように(大手企業436社平均7時間29分)、労働時間短縮の方向にあることなどによるものであった。

当社ではすでに53年、会社と職員組合による「時短推進委員会」を設け、所定外労働時間の短縮に向け努力しつつあったが、30分の時短を達成した後も超過勤務時間は微増にとどまった。これは時間管理に関する諸施策の成果を物語るものであり、同委員会は使命を果たしたことが確認されたので、56年6月廃止された。

<日曜全休>

建設業界はその業種の特殊性から、明治時代以降一般化した日曜全休の例外的存在であった。戦後、22年に「労働基準法」が施行されたが、建設業の現場では一般に第1・第3日曜を定休日とし、その他の日曜日は適宜他日に振り替えることとして対応した。しかし、40年代も後半になると労働時間短縮の傾向が進み、週休2日制を採用する他産業が増加するに伴い、建設業界の立ち遅れは一層きわだってきた。そのため日本建設業団体連合会でも、日曜全休の実施を業界全体の問題としてとらえ、その推進に取り組み始めた。

当社では工事現場の日曜全休を47年度の短期経営計画の目標に加え、定着化への努力をすることになったが、同年11月、工事事務所において日曜日を全休日とする取扱いに関して通達を発し、やむをえず日曜日に工事を行う場合には、所管先の長の承認を受けさせるなどの措置を講じ、日曜全休の徹底を図った。

次いで48年4月「国民の祝日に関する法律」の施行に伴う振替休日も加わり、法定休日は増加した。

<土曜休暇>

土曜日の午後を早退とすることは、当社では42年以降年間を通じて行われるようになったが、原則として各職場ごとに半数以内としていた。47年4月、早退者数に関する制限を撤廃し、各職場責任者の責任において業務に支障のない者を早退させることができることとした。

一般産業界では週休2日制が進んだが、建設業界では旧来の労働慣行の変更はなかなか容易ではなく、その普及は遅々として進まなかった。しかし社会の大勢でもあるところから、大手業者の間に同調の気運が高まり、当社でも51年4月、月1回交代制による土曜休暇制度の実施に踏み切った。その後、58年度から第2土曜日を全員一斉休暇とし、61年度からは第2・第3土曜日の月2回に拡大した。

<夏期休暇と永年勤続休暇>

高度成長に伴って、わが国の産業界でも夏期休暇の制度が年々普及してきた。当社では年次有給休暇を3日程度まとめて夏期にとるよう指導してきた。

そこで47年4月、初めて夏期休暇制度を制定、8月中の連続した3日間を休暇として、業務の繁閑等の状況を勘案し、常設機関は交代制により、現場では可能なかぎり一斉にとることとした。

その後の経過をみると、常設機関においても交代制より一斉休暇の方が、いくつかのメリットのあることがわかった。また、夏期休暇の一斉取得方式は社会的にも定着しつつあった。

そこで51年4月、夏期休暇制度の一部改正を行い、常設機関および現場を通じ、8月14、15、16の3日間、いわゆる“お盆休み”の期間に特定することにした。また、年末年始休日を12月30日~1月3日と、1日延長した。

永年勤続者を表彰する制度は13年から行われてきたが、53年4月からは職員組合の要望を入れ、永年勤続休暇制度が発足した。その概要は次のとおりである。
・理事、職員については、勤続年数満12年に達した者は7日、22年および32年に達した者はそれぞれ14日の連続休暇を取得できる。
・現業職員については、勤続年数満15年に達した者は7日、25年に達した者は14日の連続休暇を取得できる。

土曜休暇取得推進のためのキャンペーンポスター(大林組職員組合)
土曜休暇取得推進のためのキャンペーンポスター(大林組職員組合)

■―課長代理制度

昭和56年度(1981年度)を初年度とする長期経営計画において、人事関係については「中間層の活用」、「教育制度の整備」、「提案制度の活発化」等が重点事項にあげられた。中間層の活用がとくに取り上げられたのは、低成長時代の到来とともに、部・課の新設等による機構の拡大が困難になり、中間層の昇格が頭打ちとなったことが主因であった。

これは、わが国では「肩書」が社会的地位を象徴するため、対外的折衝において不利であるのみならず、従業員の士気に関する問題でもあった。そこで55年11月、ほぼ課長に到達する年代に近い職員を対象として、課長代理のポスト(部署によって主任、あるいは副主任研究員)を新設した。しかし指揮系統の複雑化を避けるため、これを管理職とせず資格呼称とした。

新制度は同年12月1日付をもって実施され、299名の課長代理および相当資格者が発令されたが、その後逐年増加し、57年8月現在で432名に達した。

課長代理辞令
課長代理辞令

■―適格退職年金制度

従業員の高齢化が進行する一方、低成長時代に移行するに伴い、増大する退職金の支払いはしだいに経営を圧迫するに至り、対応策として企業年金制度を採用する企業が増加した。

当社では退職一時金、社内年金の両制度を併用してきたが、これを存続するにはいずれについても問題があった。退職一時金に関しては、ピーク時と予想される西暦2007年における負担額は約183億円に及ぶと推計された。また、昭和55年(1980)4月には税制が改正され、退職給与引当金の損金繰入れが縮小し、実質増税となった。一方、社内年金は税制上の適格年金でなかったため、ほとんどが簿外債務となっていたのみならず、掛金の利率も高率であり、これまた将来、資金、損金両面で負担の増大が予想された。

このころ、東証一部上場企業964社、建設業79社のうち、いずれも70%以上が適格企業年金制度を導入しており、これが高齢化社会の到来に備える一般企業の姿勢とみられた。ここにおいて57年3月、適格退職年金制度の導入に踏み切り、従来の社内年金制度は廃止した。

■―住宅貸付金制度

終戦以来、政府は公的資金による住宅建設を進める一方、国民自身による持ち家政策を強く推進してきたが、昭和40年代以降の急速な地価高騰、東京を筆頭とする大都市への人口集中など諸般の事情が複雑に重なって、住宅問題はいまだ解決には至っていないのが実情である。

当社では46年(1971)4月に住宅資金貸付規程を改正し、職員等の貸付資格を在職10年から5年に引き下げ、限度額を800万円(平成3年現在は2,200万円)に引き上げ利率も下げた。49年1月、金融機関からの住宅融資に関する利子補給制度を発足させたが、同年12月には減量経営に伴う措置として、増改築に対する貸付を一時停止した。翌50年8月には、貸付規程の一部を改正、住宅金融公庫の先順位抵当権を認めた。

さらに52年4月、現業職員住宅資金貸付規程を改正し、貸付限度額を1,000万円(平成3年現在1,450万円)に引き上げ、利率を引き下げるとともに返済期限も15年に延長した。

また同年6月、厚生年金転貸融資制度を導入、社内貸付金と併用するための厚生年金住宅貸付規程を制定した。同制度によって借り入れた資金は約15億円に達し、従業員が低金利で調達できる住宅資金は大幅な増額をみたのである。

■―共済会事業の拡充

「大林組共済会」は昭和6年(1931)に発足し、積立基金は50年に約1億円に達した。そこで、この財源を有効に利用するため、事業の大幅な見直しを行った結果、会員の罹傷病、結婚、子女の入学その他臨時的な支出を補うべく、貸付金制度を発足させるとともに、慶弔金規程も改正して事業内容の充実を図った。

次いで53年6月の宮城県沖地震に際し、家屋倒壊その他大きな災害を受けた従業員に対し見舞金を贈った。

56年には当社創業90年とともに共済会も設立50年を迎えた。これを記念するため記念事業を検討した結果、共済会の出資によって保養所を建設することが決定し、三重県賢島の社有地を選定、同年着工して翌57年7月に完成した。

同保養所は英虞湾を見下ろす高台に建ち、真っ白なスタッコモルタルコテ塗り仕上げの外壁とオレンジ色に輝く甍の美しいスペイン風建物で、半世紀に及ぶ共済会の記念碑ともいうべき建物となった。

賢島保養所(上・外観、下・内部)
賢島保養所(上・外観、下・内部)

■―提案制度

当社が提案規程を施行したのは昭和48年(1973)1月のことであったが、当初は制度の趣旨が理解されず、この年の提案件数も50件どまりで、その後も減少の一途をたどった。折から当社の業績は悪化し、減量経営を余儀なくされたのであるが、まさしくこの時期こそ全従業員の創意工夫を最も必要としたのである。

そこで提案制度を再検討し、これを生産性向上運動の一環とするため、55年11月、提案規程を改正した。その要点は、審査委員会の廃止と部門別委員会新設による審査の迅速化、提案内容を企業イメージ向上に資するものにまで拡大、審査等級の細分化と賞金のアップなどであった。そして審査の結果、採用となり等級をつけられた提案事項は職制を通じて実施されていった。

56年3月、提案方法を容易にし、手続きも簡便化し、また『提案ニュース』の発行、提案箱の設置など促進活動を実施した結果、SK運動、KY運動等と相まって、提案件数はたちまち増加し、規程改正後の1年間には1,065件に及んだ。

さらに57年2月から3月の2カ月間を「提案強調月間」と定め、広く従業員に呼びかけたところ提案件数は4,384件に達し、同年6月には5,000件を超えるに至った。

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