大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

4 エンジニアリング事業の展開

■―建設業におけるエンジニアリング

エンジニアリングとは、一般に「人、材料、設備、機械などの総合化されたシステムを対象とし、その設計、要素調達、工事、運用を行う場合に生ずる結果が、与えられた諸目的に対して最適な形で実現するように行う“一連の活動”」と定義づけられている。

この定義は装置産業のエンジニアリング部門を想定したものと思われるが、昭和50年代後半、建設業冬の時代を迎えてゼネコンの間においても、設計・施工または施工だけを請け負うといった従来の受身の姿勢から脱皮する動きが出てきた。

その一つのビジョンとして、米国における建設業(エンジニアリング・コントラクター)の雄たるベクテル社やフルア社(現・フルア・ダニエル社)の業容、業態が参考とされ、わが国建設業との比較から、エンジニアリングという概念が注目されて、将来の一つの方向としてEC化(エンジニアリング・コントラクター化)が重要視されるようになった。

つまり、従来の建設業がビル、工場、道路、ダム等の構造物の建設というハード指向が主であったのに対し、建設業における「エンジニアリング」とは、企画段階のコンサルティング業務から始まって、設計、施工、完成引渡し、操業、保全に至る一連の活動すべてを含み、ソフト部分を付加してその価値を高めることである。

こうして建設各社では、「業態」と「業容」の拡大を目指すことが課題となった。ここでいう業態の拡大とは、従来領域の川上に当たる企画から川下に当たるメンテナンス、オペレーション等、“タテ”への展開であり、業容の拡大とは、生産ラインの設計、据付け等、従来は別途工事として建設会社がほとんど関与しなかった領域で、“ヨコ”への展開を意味する。

このような業態、業容の拡大のためには、蓄積された技術力を核とした営業が不可欠となるのはいうまでもない。また、このころから製造業の工場建設に際しても、技術の急速な進展や新規分野の技術情報不足をカバーするため、専門集団であるエンジニアリング会社に、企画から建設までという一貫して発注する方が効率的でムダがないという認識が広がり、エンジニアリング会社への期待が時代とともに高まりつつあった。これは建設業の指向する方向「EC化」ともマッチしていた。

■―エンジニアリング事業部の発足

こうした状況のもと、当社においても受注拡大の一方策として、建築、土木に続く事業の柱を創設しようとする気運が盛り上がり、エンジニアリング事業部の発足につながっていった。

昭和56年(1981)10月、EC委員会が検討を開始し、「建設事業におけるEC化について」という報告書を作成した。この中では、エンジニアリングの概念を整理したうえで、建設業としてエンジニアリング事業にどうかかわるか、さらに、エンジニアリング・コントラクターを目指した場合の問題点の把握、その方向の探索について検討が進められた。そのなかには全社のEC化を目指そうとする議論もあったが、当社のスタンスとしては、エンジニアリング部門を新設し、ここでの実績を積むことによって全社員にEC化のマインドを醸成するという考えのもとにスタートを切ることとなったのである。

これを受けて58年6月、エンジニアリング事業部が、津室取締役を事業部長として発足した。同事業部にはEC企画部とプロジェクト部が置かれた。

かつて高度経済成長期の技術者は、どちらかといえば限られた分野での専門知識が強く求められていた。しかし、エンジニアリング事業として技術営業を進めるにあたっては、その根幹をなすものはコーディネート機能であるため、専門の技術をもつ一方、他分野の技術を理解しコーディネートできる技術者の育成が大きな課題であった。そのため、社内各部門からさまざまな専門技術者を集めたり、社外の技術者を中途採用したほか、外部の力も活用できるようネットワークの拡大を心がけた。技術情報の受発信の場としてエンジニアリング振興協会の果たした役割も大きい。

事業部の発足と同時に、専務取締役以上で構成するエンジニアリング事業委員会(委員長=大林社長)が設置された。また、エンジニアリング事業認定制度{}を定め、委員会がプロジェクトをエンジニアリング事業として認定することによって、その事業の全社的推進を図ることとした。

注 エンジニアリング事業認定制度:認定の対象は二つ。第1は組織にかかわるもの。エンジニアリング部門の組織は社会環境の変化、ニーズの多様化等に対応し、ターゲットとする分野を特定したプロジェクト部の新設、改廃を行っているが、これら組織の改編はエンジニアリング事業委員会で認定のうえ実施される。第2は個別のプロジェクト。エンジニアリング事業推進上重要なプロジェクトについては、既定の業務分担にとらわれない最適な業務処理体制を含めて認定のうえ実施される。

エンジニアリング事業部が発行した事業案内パンフレット
エンジニアリング事業部が発行した事業案内パンフレット

■―事業部から本部へ

その後、多様化する社会的ニーズのなかで、エンジニアリング事業部の重要性が増し、これに対応して営業活動をさらに活発に進めるため、昭和61年(1986)4月、同事業部はエンジニアリング本部に昇格した。このとき、1企画部6プロジェクト部でスタートしたが、プロジェクト部には対象分野名を冠し「バイオ・環境」「情報化施設」「大空間施設」「免震構造」「サイロ・物流」「ハイテク施設」の各プロジェクト部とし、当社の技術イメージを明確にすることにした。また、企画部は、当社が今後取り組むべきテーマを探求したり、発生したプロジェクトの推進を図るとともに、本部内各プロジェクト部の調整を図ることとした。

62年から63年にかけては、後述するように内需拡大策により建設需要は冬の時代を忘れさせるような好況を迎えた。このため、エンジニアリング部門の位置づけについて再考する気運も一部で出現し、さらにはエンジニアリングと他部門との棲み分けが十分でないなどの理由から、組織の改編を実施し、統合・縮小する企業も出てきた。

しかし、当社では長期的な観点からこの部門の継続的な拡大を図り、当社の技術開発への取組みを強く印象づける窓口としての役割をも担うものとした。

62年10月、ニューフロンティアといわれる宇宙開発プロジェクト部が加わり、さらに63年12月にはプロジェクト部は再編されて、9プロジェクト部となった。

各プロジェクト部の対象分野は次表のとおりである。

その後、地球環境問題が世界的問題となり、当社としても企業の社会的責任としてこの問題に取り組むとともに、この分野での事業参画の機会をうかがうことが必要となったため、平成2年5月、以上のプロジェクト部とは別に同本部に地球環境部が設置された。

■―実績を重ねるエンジニアリング事業

エンジニアリング事業活動を実施するにしたがい受注実績を加えていき、同時に得意分野も増えていった。この実績としては、①サイロ関連、②ブラウン管・半導体工場、③医薬品工場、④免震・除振構造物、⑤廃棄物処理場等が多く、さらに大空間施設、電波暗室・磁気シールド等の分野で、発注者と企画・計画等の段階から深くかかわることに努めてきた。

なかでも、完全なターンキーベースで受注した昭和63年(1988)の徳力精工今市工場(プリント基板工場)、平成元年の米国NECローズビル工場メガラインの2件が、先述したエンジニアリング事業認定の事業として位置づけられた。主な受注実績を示すと次ページのとおりである。

エンジニアリング事業認定第1号の徳力精工今市工場(プリント基板工場)のクリーンルーム―平成元年4月竣工
エンジニアリング事業認定第1号の徳力精工今市工場(プリント基板工場)のクリーンルーム―平成元年4月竣工
敷地造成から工場建家、プロセスサポート設備も含め設計・施工にあたった米国松下電子カラーブラウン管工場―平成3年3月竣工
敷地造成から工場建家、プロセスサポート設備も含め設計・施工にあたった米国松下電子カラーブラウン管工場―平成3年3月竣工
東京都初の免震ハイテク研究施設となった東京都老人総合研究所ポジトロン医学研究施設(JV)―平成2年3月竣工
東京都初の免震ハイテク研究施設となった東京都老人総合研究所ポジトロン医学研究施設(JV)―平成2年3月竣工
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