大林組100年史

1993年に刊行された「大林組百年史」を電子化して収録しています(1991年以降の工事と資料編を除く)。
なお、社名・施設名などは、刊行時の表記のままとしていますので、あらかじめご了解下さい。

4 OA化の推進

■―利用度高まるOA機器

昭和30年代の後半、オートメーションということが盛んにいわれたが、当時は主として生産工程における自動化の意味に用いられ、技術革新と結びついて生産の合理化、能率化を進め、高度成長を促す力となった。

製造業や装置産業での工場作業の自動化(ファクトリー・オートメーション、FA)は、50年代のわが国では大いに進み、無人化に近い状態で操業している工場が見受けられ、高い生産性を誇るようになった。これに比べるとオフィスでのオートメーション(OA)は、それまでどの企業でもそれほど進展せず、その生産性の向上には見るべきものがなかった。これは一つにはOA機器が未発達で、高価であったからである。

しかし50年代後半の日本経済は低成長を続けており、各企業とも体質強化を目指して間接部門の合理化に力を注ぐことになった。この時期にはOA機器に必要なICなどの電子素材の大量生産が可能となって価格も急速に下がり、高性能で小型、しかも安価なOA機器が出現し、オフィスのオートメーション化による効率化を促すようになった。

OA三種の神器といわれるワードプロセッサ(ワープロ)、パーソナルコンピュータ(パソコン)、ファクシミリ(ファックス)などの性能向上、低価格化によって、その普及は急速に進んだのである。

従来のコンピュータでは、主として大量定型的な業務をある時期に一括処理する方法がとられ、また日常の事務処理において避けることのできない漢字の取扱いが不可能か、あるいはきわめて面倒であった。この時期に出現したパソコンでは手軽に日常活用でき、ワープロ、パソコンとも漢字の取扱いも容易となり、鮮明な文字が印刷されるようになった。またファクシミリも高速送受信が可能となった。

こうした情勢を踏まえて56年(1981)1月、大林社長は年頭訓示においてOAシステム導入の必要を次のように強調した。

「今後総人員の急激な増加は望めないので、工事量の増大に対処して間接部門の人員を抑制するためには、現場以上に常設部門において、業務の合理化と省力化を図らなければならない。

最近、業務合理化のため、エレクトロニクスを利用したいろいろなオフィス機器が開発され、いまやオフィスオートメーションと呼ばれる業務処理、管理の革新期を迎えている。そこで、現在の業務処理の方法を改めて見直すとともに、これらの機器、たとえば漢字処理も行える情報、計算、数量管理のためのオフィスコンピュータ、パーソナルコンピュータ、日本語による文書の作成や管理業務が行えるワードプロセッサ、あるいは情報伝達のためのファクシミリなどを有効に組み合わせて利用するオフィスオートメーション・システムを導入したいと考えている。

オフィスオートメーションを全社的に推進するためには、電算センターがこのシステムの開発に十分な対応をなすべきことはいうまでもないが、各部門においてもそれぞれ適用業務の検討と、そのシステムの開発に取り組む体制をつくることが必要である。

さらに全員がコンピュータ関連機器の利用に関心をもつとともに、多くの人がこれに必要な技能を身につけられるような教育計画が必要である。

現場でのパーソナルコンピュータやオフィスコンピュータの利用については、東京本社管内の地区工事事務所と現場の一部にすでに導入し、当社独自に開発したソフトウェアによって実用化を図っているが、引き続き工事規模に適したシステムで逐次導入を進める方針である。

なお、コンピュータを利用した情報システムについては、部門別につくられた個々のシステムを見直すとともに、集中処理すべきものは集中し、分散処理すべきものは分散させるなど、早急に全社的な情報についての管理と、活用システムの改善を進めなければならない。」

日本語ワードプロセッサを設置(総合企画室)
日本語ワードプロセッサを設置(総合企画室)
海外の現場でもオフィスコンピュータを導入(シンガポール埋立工事事務所)
海外の現場でもオフィスコンピュータを導入(シンガポール埋立工事事務所)

■―OA課の設置とOAの展開

昭和56年(1981)当時の建設業界は、大手を中心に業績の回復が進んだとはいえ受注競争は激化していた。このため当社においては、業績の拡大と資本の充実を目指して策定された長期経営計画の中でも、受注量の拡大とともに生産性の向上が大きな柱となっており、その施策の一環としてOAの展開による間接部門業務の効率化を図ることになった。

前記の社長訓示もこのタイミングをとらえてなされたものであり、この訓示に基づき56年4月、総合企画室にOA課を設置し、OA機器の選定、その利用教育、部門別ソフトウェアの開発促進、電算センターとの連絡調整業務等を分掌させることとした。また、これにあわせて全社的にOAを展開するため、東京本社各部および本店、各支店ことにOA担当者を選定した。

OAシステムの推進に関しては、単なる業務の機械化処理にとどまらず、二つの基本方針に基づいて実施された。その第1は、各部門の業務分析を行い、各部門の業務処理手順を見直すことによって、総合的な業務改善運動を展開し、各部門の意識改革を図ることを出発点としたことである。

このため、56年上半期に東京本社において特定のモデル部門を選び、試行しつつ業務分析の手順を確立した。次いでこれに基づき56年5月~11月に東京本社、同年8月~57年2月に本店、57年4月~7月に名古屋支店、58年1月に神戸支店、58年3月~8月にその他の支店という順序で業務分析を行った。そして分析結果に基づいて業務改善策を打ち出し、そのうえでOAを展開していった。

第2は部門主体のシステム開発を行ったことである。従来の電算センターでのシステム開発では、時間の経過とともに、各部門の業務担当者にとってシステムの中身がブラックボックス化していくという欠陥があった。その一方では、各部門の業務ニーズは年とともに変化していき、その結果、システムと業務ニーズとの乖離が始まり、システムが形骸化し、利用者サイドでニーズにあわせるための二次、三次加工が増大していった。

このためOAの展開にあたっては、部門のニーズに合致したシステムづくりをねらって、部門自身によるシステム開発の原則を打ち出した。そこでシステム開発能力向上の一助として、56年10月に技能の程度によって1級から4級までのコンピュータ技能社内資格制度を発足させるとともに、57年5月には各種コンピュータ教育を整備、体系化した。

また、各部門でのOA機器の導入やシステム開発にあたっては、それを実施することによりどのように業務が改善されるのか、そしてその結果、どのような効果がもたらされるかなど、費用対効果の予測を立てさせ、その実施状況をOA課がフォローしていった。

こうして各部門の業務分析の結果による業務改善意識の向上とコンピュータ教育による技能習得、パソコン等の機器の大幅な導入とが相まって、部門別に数多くのシステムが自発的に開発され、業務改善に寄与することになった。

また、副次的にはワープロの普及によりタイピストが大幅に減少したこと、文書類が見やすくなったこと、浄書などの手間が省かれ文書処理の流れが簡素化されたなどの成果が現れた。

こうしたOA推進の成果が認められ、58年10月に日経産業新聞創刊10周年記念事業として企画された「全国先端事業所百選」において、当社はそのなかのOA賞を受賞した。

なお、施工部門のOA化については、既述のように55年7月に発足した現場業務合理化プロジェクト・チームが中心となって、パソコンによる現場管理システムのあり方を研究してきた。その結果、59年度から順次現物にパソコンが設置され、平成2年度の設置率は建築現場では42%、土木現場では43%に達している。

デスクで卓上グラフ作図機を操作(総合企画室)
デスクで卓上グラフ作図機を操作(総合企画室)
工事事務所にファクシミリ設置
工事事務所にファクシミリ設置
「全国先端事業所百選」OA賞を受賞(手前右は、表彰を受ける谷口総合企画室長
「全国先端事業所百選」OA賞を受賞(手前右は、表彰を受ける谷口総合企画室長

■―PLO運動の推進

OA化の推進と並行し、業務効率化の一環として、不要書類を廃棄し事務所スペースの有効利用を図るPLO(ペーパーレスオフィス)運動が推進された。期間は昭和56年度(1981年度)から5年間と設定され、まず東京本社において56年11月30日から57年2月6日まで実施、以後毎年6月、12月の2回に分けて行うことになった。

総務部庶務課が中心となり、原本保管の必要ない文書はすべてマイクロフィルムに収録することにし、不要分は廃棄した。第1回の期間中に排出された文書類は、2段キャビネット300台分、2t積トラック20台分に達した。保存を必要とする書類も私蔵、私物化を厳禁し、共有の場に置くことと定め、余裕のできたスペースにはOA機器を設置、あるいは打合せコーナー等に利用することとした。

第2回目以後もさらにこれを発展させ、ファイリング・システムの確立、OA化への連動など一層次元を高めていった。

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